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【論壇時評】

中立という名の政治性 虐殺を隠す歴史修正主義 中島岳志

 東京都の小池百合子知事が、九月一日に開催された「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式」に、知事名の追悼文を送らない決定をした。過去の知事は送ることが通例となっており、それを覆すことの政治性が問題になった。

 これは巧妙な歴史修正主義である。関東大震災で朝鮮人虐殺が起きたことは紛れもない事実である。

 小池知事は、会見で「民族差別という観点というよりは、災害の被害、さまざまな被害によって亡くなられた方々に対しての慰霊をしていくべきだ」と述べ、あくまで公平性を重視した結果であるとの見解を示した。

 これに対して映画監督の想田和弘は、8月25日のツイッターで、「政治性を排除することが、極めて政治的であることの好例」と述べた上で、「『震災の犠牲者すべてを追悼する』という一見中立的・公平にみえる言説が、朝鮮人に対する暴力を隠蔽(いんぺい)する」と批判している。

 この指摘は重要である。行政機関が政治的中立性・公平性を掲げることで、特定の政治主張を排除するケースが頻発しているからだ。

 今年四月には、群馬県立近代美術館で展覧会開幕直前に美術家・白川昌生(よしお)の作品が撤去され、問題になった。白川の作品は「群馬朝鮮人強制連行追悼碑」で、歴史修正主義に対する批判的メッセージが込められていた。この作品を、県立美術館側が政治的中立性を問題視して、撤去したのだ。

 いま問われているのは、「政治性を排除することの政治性」であり、「中立性・公平性という名の政治性」である。

 小田嶋隆はウェブサイト「日経ビジネスオンライン」(9月1日)に掲載した「追悼文をやめて何を得るのか」の中で、小池知事の言葉に注目している。

 小池知事は追悼文の送付取りやめについて問われた会見で、一度も「虐殺する」「虐殺される」「殺す」「殺される」という言葉を使わなかった。知事は虐殺の犠牲者に対しても、震災関連の犠牲者と同様に「亡くなられた」という動詞を使っている。

 小田嶋は「知事の会見をそのまま英語に翻訳すると、かなり奇妙な英文になるはずだ」と指摘する。「亡くなる」という動詞は自動詞で、“died”に当たるが、虐殺の犠牲者には使えない。英語は行為者と被行為者の関係を明確にするため、“murder(殺人)”もしくは“slaughter(虐殺)”が用いられる。「災害関連死による死者と、虐殺による犠牲者を、おなじ『亡くなられた』という動詞で一括(くく)りに表現する小池都知事の言葉は、行為者と被行為者の関係を曖昧にした状態で語ることのできる言語である日本語だからこそかろうじて意味をなしている」。知事は、日本語特有の構造を巧みに用いることによって、虐殺を隠蔽しているのだ。これは明らかに「公平性」を装った歴史修正主義である。

 小池知事は、「震災時に朝鮮人が殺害された事実」について問われたことに対して、「さまざまな歴史認識があろうかと思うが」と言明した上で、震災で亡くなった人への慰霊の気持ちを述べている。小田嶋は、この回答を「実にとんでもない言明」と厳しく批判する。「事実」の問題を「歴史認識」の問題にすり替えているからだ。

 ジャーナリストの江川紹子はウェブサイト「Business Journal」(8月30日)に掲載された「【小池都知事の関東大震災追悼文見送り】に強い違和感…『あったものを、なかったことにする』誤った歴史を繰り返すな」の中で、小池知事の物言いがトランプ米大統領の話法と類似していることを指摘している。

 トランプ大統領は、白人至上主義者のデモと反対派が衝突し、死傷者が出た際、「どっちもどっち」という趣旨の発言を行った。これは「双方も同じように批判してみせることで、人種差別という根源的な悪から目をそらし」、「問題性を薄めて小さく見せようとし」ている。小池知事も同様に、虐殺された人たちを「関東大震災で犠牲となられたすべての方々」の中に組み込むことで「虐殺の事実を見えにくくし、あるいは『なかったこと』のように扱」っている。

 高須クリニック院長である高須克弥が、ツイッター上に「ナチスが消滅してもナチスの科学は不滅」「南京もアウシュビッツも捏造(ねつぞう)だと思う」と書き込んでいたことが問題視されているが、これなどは以前であれば社会を揺るがす大きな問題になったはずである。一九九五年、ホロコーストを否定する記事を掲載した雑誌「マルコポーロ」は、厳しい批判にさらされ、自主廃刊に追い込まれた。 

 近年、歴史修正主義的な発言に対して、世の中が不感症になっている気がしてならない。「公平性」や「中立性」という名のもと歴史修正主義が幅を利かせていることに、警戒しなければならない。 (なかじま・たけし=東京工業大教授)

 

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