東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 文化 > 論壇時評一覧 > 記事

ここから本文

【論壇時評】

麻原元死刑囚 刑執行の是非 悩ましい「究明」の優先度 中島岳志

 六月初旬、「オウム事件真相究明の会」の呼びかけ人の一人から、賛同人になってほしいという依頼を受けた。この会の趣旨は、麻原彰晃(しょうこう)こと松本智津夫(ちづお)が精神疾患をわずらっており、適切な治療をほどこした上で、真実をしゃべらせようということにあった。

 引き受けるべきかどうか、悩んだ。趣旨はよく理解できるが、躊躇(ちゅうちょ)した。結果的に時間が経過し、賛同人にならないまま死刑が執行された。

 裁判での麻原の態度はひどかった。弟子に罪をなすりつけ、責任回避を繰り返す。自分に都合の悪い証言を行う元弟子たちに対し、精神的な圧力をかけ、コントロールしようとする。それが難しくなると、意味不明の言葉を繰り返し、裁判を混乱させる。

 「いいかげんにしろ!」という憤りをおぼえた。嫌悪感に近い感情が沸き立った。

 はじめは完全な詐病だと思っていた。しかし、時間がたつにつれ、その行動は精神疾患を思わせるものになっていき、治療が必要な状態であるように思えた。死刑判決後に伝わってくる話も、麻原が拘禁反応による昏迷(こんめい)状態であることを示唆していた。

 しかし、よく分からない。どこまでが詐病で、どこまでが精神疾患なのか。その区切りを付けることは、接見もしていない素人の私には難しい。いや、不可能だ。

 仮に精神疾患が治ったところで、麻原が新たな証言を始めるかについても確証が持てない。これまでの裁判での行動を見ていると、それは難しいように思える。死刑執行だけが先延ばしにされる可能性が否定できない。

 そんな思いを抱いているときに「オウム事件真相究明の会」を批判する声が上がった。江川紹子「『真相究明』『再発防止』を掲げる『オウム事件真相究明の会』への大いなる違和感」(Web版Business Journal、6月13日)である。

 ここで江川は、「治療」によって麻原が真実を話し始めることは、ありえないと主張する。裁判では弁護人や検察官、裁判官、元弟子たちが「全身全霊をかけて語りかけ、血がほとばしるように説得をしても、彼は頑強に真実を語ることを拒んだ」。真実を語る機会をことごとく無下にし、時に自らの支配力を小さく見せようとしてきた。この事実を無視してはならない。

 七月六日に死刑が執行されると、江川は同日中に次のようなコメントをツイッターで発した。「麻原彰晃こと松本智津夫が、精神鑑定も受けられないまま死刑が確定し、執行されたと、本気で信じている人が多くて驚く。そんなデマを誰が言いふらしたんだろう。東京高裁の決定を読んでみることをお勧めする」

 さらに七月八日に配信された「オウム事件死刑執行、その正当性と今後の課題を考える」(YAHOO!ニュース)では、麻原の裁判中の振る舞いを「合理的な防御行動」であると指摘し、「法廷であった事実をないがしろにして、心神喪失を言い募る議論は、人々を惑わすだけで、有害無益だと思う」と論じた。

 一方、「オウム事件真相究明の会」呼びかけ人の森達也は、「それでも麻原を治療して、語らせるべきだった…『オウム事件真相究明の会』森達也氏による、江川紹子氏への反論」(Web版Business Journal、7月18日)を発表し、見解を述べた。森が疑問視するのは、東京高裁が依頼した精神科西山詮医師作成の鑑定書の内容である。この鑑定書は麻原が詐病であることを前提に作成されており、強引な解釈が目立つと言う。「空疎なレトリックの積み重ねで、麻原は訴訟能力を失っていない」と結論付ける。この一つの鑑定書だけで、麻原を詐病と断定するのはあまりにも問題がある。

 さらに『週刊金曜日』7月13日号に寄稿した「麻原は生きていた。ならば語らせるべきだった。」では、地下鉄サリン事件を起こした動機がいまだに不明確であることを強調する。「動機を語れるのは麻原しかいない。でも精神が崩壊した麻原は語らない。ならば麻原が不特定多数の人を殺傷しようと考えた理由がわからない」

 理由が不透明だから不安が増大する。テロは語源が「テラー」(恐怖)であるように、暴力によって不安と恐怖を社会に与え、特定の政治目的を達成しようとする行為である。オウム事件の結果、増大したのは不安や恐怖心であり、そのことによって集団化や同調圧力が加速した。今回の麻原死刑によって、事件を指示した動機が語られることはなくなった。分からないことによる不安や恐怖が一層増大し、監視権力が強化される。

 森も率直に認めるように、「治療によって回復する可能性は相当に低いだろう」。麻原が改めて真実を語ることも、難しい。それでもなお最後の最後まで語らせる努力をするべきだというのが、森の主張だ。その努力をあきらめたとき、社会は理解することを放棄し、セキュリティーばかりを強化することになる。

 私は「オウム事件真相究明の会」の賛同人に名前を連ねるべきだったのだろうか。安易な結論を出さず、しばらく悩み続けたい。

 (なかじま・たけし=東京工業大教授)

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報