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【経済】

東芝の光と影を体現 原発事業の原点 西室氏

2015年11月、日本郵政の上場の記念式典であいさつする西室泰三氏=東京証券取引所で

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 東芝社長、会長を歴任した西室泰三氏が死去した。経営者、財界人として華麗な経歴を重ねた西室氏だが、原発事業の失敗などで東芝の経営危機が表面化すると、その元凶になったとの見方が噴出。晩年は批判を受けることもあった。

 西室氏が東芝で頭角を現したのは十四年間に及ぶ米国駐在の一九九〇年代前半、タイム・ワーナーの提携に成功したころだった。次世代VTRでDVD規格の一本化にも貢献。この時の交渉力が評価されて九六年に東芝社長に就任した。

 西室氏は東芝の社長時代、半導体などIT分野で成長する経営戦略を打ち出し成功を収めた。しかし社長退任後の西室氏は後継社長を次々と指名して強い影響力を発揮し「院政」を敷いたのは疑う余地がない。経団連会長になることに意欲を隠さなかった西室氏は二〇〇五年に東京証券取引所会長、一三年に日本郵政社長に就任するなど「政府従属」の姿勢を強めていった。

 原発推進も東芝に「国策」として遂行させる必要があった。後継の社長らを従わせられるのは西室氏だけだ。その意志を受け、東芝は原発事業にのめり込んでいったともいえる。

 東芝の経営危機の根幹は一六年に米原子力子会社ウェスチングハウス(WH)で発覚した巨額損失だ。東芝は〇六年にWHを五十四億ドル(当時の為替レートで約六千四百億円)で買収したが、一一年の東京電力福島第一原発の事故後、原発事業は失速。東芝の経営を根幹から崩壊させた。

 一六年二月に検査入院しその後に日本郵政の社長職、東芝相談役を退いた西室氏。以降、公の場に姿を見せず、東京都内の大学病院で入院生活を続けていた。

 西室氏を知る財界人によると、「(経営不振に陥った)東芝を何とかしてほしい」と行く末を案じていたという。東芝を永遠に名門にしたい、という強い思いが貫かれた、光と影を体現した経営者と言えるだろう。 (編集委員・中沢幸彦)

 

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