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【経済】

豊田達郎さん死去 トヨタ自動車元社長

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 トヨタ自動車の創業者・故豊田喜一郎氏の次男で、同社社長を務めた豊田達郎(とよだたつろう)氏が二〇一七年十二月三十日、肺炎のため死去した。八十八歳。名古屋市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は妻絢子(あやこ)さん。後日、「お別れの会」を開く。

 「発明王」と称された豊田佐吉の孫。経団連会長を務めた豊田章一郎・トヨタ自動車名誉会長は実兄、豊田章男社長はおいに当たる。

 一九五三年に東京大工学部を卒業し、トヨタ自動車販売(現トヨタ自動車)に入社。主に海外畑を歩み、八四年二月、トヨタと米ゼネラル・モーターズ(GM)が米国に設立した合弁会社「ニュー・ユナイテッド・モーター・マニュファクチャリング(NUMMI(ヌーミー))」初代社長に就任。トヨタ初の米国生産を成功に導いた。

 トヨタ専務、副社長を経て九二年九月に章一郎氏の後を継いで七代目の社長に昇格。九四年には中国を訪問して李鵬首相(当時)とのトップ会談で中国進出の意向を表明。欧州メーカーなどに比べて出遅れていた中国市場で事業展開の道を開いた。高血圧症で倒れ、社長職を奥田碩(ひろし)氏に譲って九五年八月に副会長に退き、九六年に相談役、二〇一四年七月から顧問。

 米ニューヨーク大で経営学修士(MBA)を取得するなど留学、海外勤務経験が豊富で英語が堪能。米政財界に太いパイプを持ち「トヨタきっての国際派」として知られた。

 九四〜九五年には日本自動車工業会会長も務めた。九二年に藍綬褒章、九九年に勲一等瑞宝章を受章。

 

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