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【経済】

故郷の知恵と資源結集 飯舘電力ソーラーシェア

牧草地に設置した太陽光パネルの前で語り合う小林稔社長(右から3人目)、佐藤弥右衛門副社長(右端)ら飯舘電力の役員たち=福島県飯舘村で

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 放射能で汚染された土や木の葉がシートで覆われ、山積みになっている。昨春、避難指示が解除されたものの約六千人の住民の一割しか帰ってきていない福島県飯舘村。あちこちの畑で、濃紺の太陽光発電パネルが反射している。

 村民らが出資した「飯舘電力」の発電所だ。四年前、たった一カ所から始まった小規模太陽光発電所は二十六カ所に増え、村外まで電気を供給する。

 「ここまでこられたのは、みんなが知恵を出してくれたからですよ」。同社社長で、肥育農家の小林稔さん(65)が言う。

 「土地が汚され、農産物以外でこの村で何が売り物になるか考えたとき、再生可能エネルギーしかないと思った」。和牛育成一筋だった小林さんが、未知の電力事業に乗り出したのは、地元再生への思いだった。二〇一四年九月に仲間四人と飯舘電力を設立。村民たちも出資してくれたが、挫折の連続だった。

 当初、出力一千キロワットの大規模な太陽光発電所をつくり東北電力に売る計画を立て、土地も確保した。ところが東北電は「これ以上太陽光は買い取れない」と受け入れを拒否。翌年、計画した大規模風力発電所も東北電から「送電線増強のために二十億円出してほしい」と求められ、頓挫した。

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 だが、あきらめなかった。「大規模がだめなら、五十キロワットの小さな発電所をいくつもつくったら」。ある日の会議でこんなアイデアが出た。大口ではなく小口でやれば、局所的な送電線への負荷は軽くなり、東北電も文句を言いにくくなる。彼らが目をつけたのが、所有者が避難した農地。パネルの下で牧草などを育てるソーラーシェアリングなら、農地転用の面倒な手続きも軽減される。

 小林さんらはばらばらに避難している村民らを県外まで訪ね、説得した。多くが事故前は一緒に「飯舘牛」のブランドづくりに汗を流してきた牛肥育の同志。「応援するから頑張って」と励まされた。地道に設置を進め、黒字が出るまでに発電所が増えた。

 「合計すれば最初に計画した一千キロワットを超えちゃいますよ」。小林さんは誇らしげ。今年中に計五十カ所まで増えるめどもついた。

 除染が終わり、小林さんは今年四月、新設した牛舎に最初の牛を迎え入れる。牧草を食べさせ飯舘牛として出荷する計画。牛が売れるようになれば、太陽光パネルや牧草管理などの雇用が生まれ、地域でお金が回る。「俺らが仕事をつくっていかないと」

 彼らの電気は、首都圏でも生協「パルシステム」などが安全な電気として買い、都内などの家庭に供給を始めた。

 飯舘電力は中央が地方から労働力や資源を吸い取り、地方を補助金頼みにしてきた国のあり方への挑戦でもある。同社副社長で、福島県北部で再生エネを手掛ける「会津電力」社長でもある佐藤弥右衛門(やうえもん)さん(66)は言う。

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 「これまで地方は中央に奪われっぱなしだった。これからは住民が主体となって太陽や水、風など豊かな資源を再生エネに生かしていく。富は地域で循環し、本当の地方創生になる」 (伊藤弘喜)

 

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