つなぐ 希望の木
災難を乗り越えてきた木々を、都内に訪ねた。
【なるほどランド】夢広がるデフラグビー
耳の不自由(ふじゆう)な選手(せんしゅ)がプレーするラグビーを「デフラグビー」といいます。昨年秋、国内で初(はじ)めて、デフラグビーの国際試合(こくさいじあい)がありました。日本は0−47で負(ま)けてしまいましたが、選手たちの表情(ひょうじょう)は晴れやか。「ようやくここまできた」。その思いでいっぱいでした。 <国際試合>憧れの舞台 昨秋初開催大阪府(おおさかふ)東大阪市の花園(はなぞの)ラグビー場。二〇一一年十一月中旬(ちゅうじゅん)に、デフラグビーの日本選抜(せんばつ)とオーストラリア選抜の試合(しあい)が行われました。ラガーマンにとって、憧(あこが)れの「花園」。日本選抜の倉津圭太主将(くらつけいたしゅしょう)(23)は、「絶対(ぜったい)に勝(か)つ」という思いで、グラウンドに立っていました。 デフラグビーの「デフ」(deaf)は、「耳の不自由(ふじゆう)な」という意味(いみ)の英語(えいご)です。ルールは基本的(きほんてき)にラグビーと一緒(いっしょ)。ただ試合中、選手が審判(しんぱん)の笛(ふえ)に気が付(つ)かないことがあります。今回の国際(こくさい)試合では審判を二人増(ふ)やし、主審(しゅしん)が笛を吹(ふ)いたら赤い旗(はた)を振(ふ)るようにしました。 倉津主将は、生まれつき耳がほとんど聞こえません。一対(たい)一で話をする時は、補聴器(ほちょうき)で音を補(おぎな)いながら、相手(あいて)の唇(くちびる)の動(うご)きを読んで会話します。ラグビーを始(はじ)めたのは、地元静岡(しずおか)市の高校に入学してからです。体を激(はげ)しくぶつけ合うラグビー部(ぶ)の練習(れんしゅう)を見て、「やってみたい」と思いましたが、両親(りょうしん)に反対(はんたい)されました。 ラグビーはボールを前にパスできません。後ろや横(よこ)にいる味方(みかた)が声を掛(か)け合って、どこに投(な)げるか判断(はんだん)します。両親は「聞こえないのに無理(むり)だろう」と考えたのです。説得(せっとく)の末(すえ)、「三年間やり通す」という約束(やくそく)でラグビー部に入りました。 「ハンディがあってもどこまで通用するか、挑戦(ちょうせん)してみたかった」。倉津主将が振り返(かえ)ります。高校時代(じだい)は、仲間(なかま)の会話に入れずつらい思いをしたこともありました。しかし、監督(かんとく)の厳(きび)しい指導(しどう)がきっかけで、分からないことがあったら、積極(せっきょく)的に尋(たず)ねるようになりました。デフラグビーには高校時代に出合い、今は地元のクラブチームとデフのチームの両方で活躍(かつやく)しています。 <どう練習>手話使って考え伝える「聴覚障害者(ちょうかくしょうがいしゃ)の場合、聞こえの程度(ていど)が違(ちが)うと、文化(ぶんか)が違うとも言えます」。国内初の国際試合(こくさいじあい)にも出場した「日本聴覚障がい者ラグビー連盟(れんめい)」の小中一輝事務局長(こなかいっきじむきょくちょう)が話します。 日本選抜(せんばつ)の選手(せんしゅ)たちでも、小さな声が聞こえにくい人から、全(まった)く聞こえない人までいて、考え方や社会のとらえ方は人それぞれです。全員(ぜんいん)が日常的(にちじょうてき)に手話を使(つか)うわけでもありません。デフラグビーの活動(かつどう)がスタートした当時、コミュニケーションの手段(しゅだん)が異(こと)なることから、練習(れんしゅう)がうまくいかなかったこともありました。 そこで基本(きほん)となったのが手話。「声で分からない人がいるのなら、全員が手話を覚(おぼ)えるのが自然(しぜん)」。日本選抜の矢部均監督(やべひとしかんとく)はそう考えます。試合中、選手たちは手話やジェスチャーで考えを伝(つた)え合っています。 <いつから>日本は1994年活動始まるデフラグビーは、いつから始(はじ)まったのでしょう。ラグビーが盛(さか)んなニュージーランドでは、世界(せかい)に先駆(さきが)けて一九九一年にデフラグビー協会(きょうかい)が発足(ほっそく)。その活動(かつどう)を、日本のカメラマンが国内のラグビー雑誌(ざっし)で紹介(しょうかい)しました。日本ではそれがきっかけとなって、一九九四年に聴覚障害(ちょうかくしょうがい)のあるラガーマンらが集合(しゅうごう)。活動がスタートしました。 大きな節目(ふしめ)となったのが、〇二年に開(ひら)かれたデフラグビー第(だい)一回国際(こくさい)大会への参加(さんか)でした。ニュージーランドへ行き、七人でプレーする部門(ぶもん)で準優勝(じゅんゆうしょう)。ウェールズ、ニュージーランドという強敵(きょうてき)を破(やぶ)ったことが大きな自信(じしん)につながりました。現在(げんざい)は、全国(ぜんこく)で四、五十人がデフラグビーに親しんでいます。そのうち十代(だい)から五十代までの約(やく)三十人が、日本代表(だいひょう)を目指(めざ)して練習(れんしゅう)に励(はげ)んでいます。 日本でデフラグビーが始まって十七年。ニュージーランドでの国際大会、憧(あこが)れの強豪(きょうごう)チームとの対戦(たいせん)、花園(はなぞの)での国際試合(じあい)。選手(せんしゅ)たちは夢(ゆめ)を一つ一つかなえていきました。次(つぎ)の目標(もくひょう)は、日本で世界大会を開催(かいさい)することです。「目標があることで、選手のモチベーションにつながります」と小中事務局長(こなかじむきょくちょう)。「日本がリーダーシップを発揮(はっき)して大会を実現(じつげん)させたい」と力を込(こ)めます。 小学3年生までが学習していない漢字を中心に振り仮名を付けています。 PR情報
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