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【放送芸能】

オールナイトニッポン 深夜 若者くすぐり半世紀

 「君が踊り僕が歌う時、新しい時代の夜が生まれる」「フレッシュな夜をリードする、オールナイトニッポン!」。糸居(いとい)五郎の名調子で1967年に始まったそのラジオ番組は、瞬く間に若者を魅了し、深夜放送の代名詞となった。多彩なパーソナリティーがリスナーに語り掛けてきた50年を振り返ると、時代の“声”が聞こえてくる。(敬称略)

 「おらは死んじまっただ〜」。テープを早回ししたコミカルな声で歌うザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」を番組で最初に流したのは、初代パーソナリティーを務めたアナウンサーら六人の一人、高崎一郎だった。繰り返し放送するうちに大ヒットし、番組が知れ渡るきっかけになった。

 ビートルズにグループサウンズ、フォークソング…。「多岐にわたる選曲で、音楽の世界になじんだ人がいっぱいいた。さだまさしも私の放送をよく聞いて、リクエストはがきを何十枚も出したそうです」。同じく初代の斎藤安弘が述懐する。

 ラジオパーソナリティーの名称も、この番組から定着したという。折り目正しく話すアナウンサーの作法を打ち破り、マイクを聴取者に見立て「一対一」で話し掛ける。

 「自分をぶつけ、放送から人間そのものが伝わるのがパーソナリティーだと思う」と斎藤。若い聴取者の兄貴的な存在として支持され、毎週一万枚以上のはがきが寄せられた。一九六九年には、同じくパーソナリティーの亀渕昭信とデュエットした「水虫の唄」が大ヒット。ご褒美代わりに米国出張も認められるほどの人気ぶりだった。

 十代中心のリスナーの多くは深夜、受験勉強をしながらトランジスタラジオに耳を澄ませた。朝鮮半島の分断を歌うザ・フォーク・クルセダーズの「イムジン河」は、政治的配慮でレコード発売が見送られたが、斎藤は隠し持っていたサンプル盤をかけた。

 「反体制までいかないけど、放送局の自主規制に突っかかっていた。安保闘争など世の中が騒然として活気があり、面白いことをやろうという深夜放送を、受け入れてくれる素地がありました」

 亀渕は「くだらないことがいくらでもできた。テレビと違ってスターが“化粧”をしないラジオで、普段の声を伝えたかった」と振り返る。人気歌手沢田研二の自宅から実況中継し、トイレで水を流す音も放送した。

 番組は七三年に芸能人のトーク中心へと路線転換。あのねのねや笑福亭鶴光のエッチな話が中高生に大人気に。以後、イルカや中島みゆき、松任谷由実、福山雅治ら、歌手がラジオだけの“素顔”を見せた。ビートたけしやタモリ、所ジョージらタレントは話術を磨き、飛躍していった。

 生放送のワイド番組の形式は朝や昼の番組に広まった。「番組形式をテレビがコピーし、タレントを抜てきしていった。深夜放送はテレビを変えたとも言える」と亀渕。

 「孤独な寂しがり屋の若い人々に、若者の広場をつくろう」。それが、番組が始まったときのコンセプトだった。半世紀を顧みて亀渕は言う。「ラジオって、姿の見えない誰か一人のために放送するんだ。リスナーは思い出をつくったり友情を育んだり、目に見えないものをたくさん受け取ったんじゃないかな」

◆鶴光「番組は真夜中の遊園地」

 俺がパーソナリティーをやった時(一九七四〜八五年)、はがきが一週間に六万通くらい来たんとちゃう?

 今、落語で学校に呼ばれて話すと、校長先生も百パーセント「オールナイトニッポンを聞いていました」と言うね。俺に会(お)うた瞬間、少年の目に変わる。そして「オールナイトだけは聞いちゃいけない、特に鶴光は、と昔、校長先生が朝礼で言うてました」。その人たちが今、校長になっているのが面白いね。

 当時は関西弁の放送が珍しかった。「鶴光でおま」なんて落語で使う古い言葉よ。「何を言うてるか分からん」とはがきがいっぱい来たけど、続けるうちに関西弁で「わては…」と書いてきた。

 下ネタは乱発するわ、ストリップの歌は出すわ、異端児もいいとこ。最初の放送で、チーフディレクターだった亀渕昭信さんに「君のDJはセックスアピールが足りない」と言われたんや。俺は、セックスをアピールせよと言うてんねんなと思って、次からアピールし過ぎてもうた。

 下ネタはもろ刃の剣。女性がプッと笑ったらエロ、赤い顔でうつむいたらグロやねん。落語は想像の世界で遊ぶけどラジオもそう。スタジオの隅でぼそぼそ言うのや。「奥しゃん、今何着て寝てまんねん。ええか、ええか、ええのんか」。全部が遊び。番組は真夜中の遊園地や。終わったら俺の言うたことはなーんも残ってない。ああ面白かったでなくてはあかんねん。

 <しょうふくてい・つるこ> 1948年生まれ、大阪市出身。落語家。著書に「かやくごはん」「つるこうでおま!」など。

◆岡村「素に近い自分を聞ける」 星野「生活に寄り添うメディア」

 放送後の番組もインターネットで好きな時にスマートフォンで聞けるなど、ラジオを巡る技術は進化している。しかし率直な語りの「身近さ」こそがラジオの変わらぬ魅力だと、「オールナイトニッポン」の現役パーソナリティー、岡村隆史や星野源は語る。

 1994年からお笑いコンビ「ナインティナイン」として、2014年からは1人でパーソナリティーを務める岡村。「こんなことがあったよと素に近い岡村隆史を聞いてもらえる番組は、生活の一部」としみじみと話す。

 毎週木曜夜10時半にニッポン放送へ入る。午前1時からの放送に向け、リスナーからのはがきを選び、ネタを書き留めたノートを見て、放送作家と話しながら話題を決める。

 「家に帰れば1人だし、1週間に起きたことをしゃべれる場がある方がいい。おしゃべりだけのラジオで、どう面白くできるかが大事。はやっていることをリスナーが教えてくれ、僕のアンテナみたいな部分もある」

 16年から出演している星野は、歌手としてヒット曲を持つ他、ドラマや舞台に俳優として出演し、エッセーも人気だ。多彩な活躍の中で深夜の生放送を大事にしている。

 「自分は中学時代からラジオっ子で、深夜のラジオが大好き。仕事や家事をしながら聞けるラジオは、生活に寄り添いやすいメディアなんじゃないかなと思います」

 

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