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【放送芸能】

今どきの校歌って こうか 球児の夏 目も耳もくぎ付け

 「甲子園」を目指す球児たちの熱い戦いが始まっている。一球一打に歓喜し、勝って笑い、負けて泣く−。最後に歌われる校歌は、そのドラマの締めくくりに欠かせない。校歌といえば、勇壮な調べと文語調の歌詞のイメージが強いが、近年はポピュラー調で、思わず口ずさみたくなる校歌も増えている。伝統か、流行か。この夏の記憶、あなたはどんな曲で胸に刻む? (池田知之)

 ♪Be together!/きらめく翼/支える風よ

 Be together!/鳥を彼方に/連れていってよ

 群馬県高崎市の城南野球場。春夏連続出場を目指す高崎健康福祉大高崎(健大高崎)が勝利し、生徒たちが歌う校歌が三塁側スタンドに響く。

 2001年に女子校から男女共学となり、校名変更に伴って校歌も新調した。作詞は数多くのアニメソングや中森明菜さんの「TANGO NOIR」を手掛けた冬杜(ふゆもり)花代子さん、作曲は西田敏行さんの「もしもピアノが弾けたなら」の坂田晃一さん。英語も交えた歌詞と軽快な曲は斬新だ。

 スタンドの3年女子(18)は「格好いいし、歌いやすい。学校の自慢です」。1年女子(15)は「乗りがいいのでつい口ずさみたくなる」と話す。野球部OBの男性(32)は「入学当初、校歌っぽくないと感じたが、歌っていると違和感はなくなりました」と言う。

 そもそも従来の校歌は、郷里の風景や教育理念を歌詞に織り込み、勇壮、重厚な旋律で歌われるイメージだが、日本の校歌はいつごろ誕生したのだろうか。

 東京大学大学院の渡辺裕教授(音楽社会史)によると、そうした校歌は1894(明治27)年に全国6カ所に設立された旧制高校の寮歌にルーツを求められるという。

 「教員や卒業生が地元に戻り、寮歌を参考に校歌を作ったケースが多い」と指摘する。旧制高校の寮歌は「♪汽笛一声新橋を」で知られる「鉄道唱歌」などに使われる跳ねるようなリズムが特徴で、旋律も覚えやすく、各地の旧制中学の校歌にも同様の曲調が広まったようだ。

 昭和初期には、山田耕筰さんら作曲家が校歌を盛んに手掛けるようになり、戦前という時代背景も手伝い、勇壮な旋律が定着。戦後は多くの学校が新設され、校歌が作られたが、渡辺教授は「作る人が大きく入れ替わるわけでもなく、主流のスタイルは変わらなかった」と解説する。

 転機となったのは、少子化が進み、高校の共学化や学校統合が加速した1990年代後半から2000年代にかけて。熱狂的な高校野球ファンで、野球部がある全国約4000校のうち約1000校の校歌を歌える茨城県ひたちなか市の会社員岩崎雅彦さん(45)は「ポピュラー調など『校歌らしくない校歌』が増えた時期と重なる」と証言する。

 甲子園常連の済美(松山市)は02年に女子校から共学となり、ポピュラー調の学園歌を作った。女子校時代からの校歌に代わり、実質的な校歌として歌われる。当時国語教諭で、作詞を担当した一色和寿子さん(85)は「21世紀の若者に通じる新しい歌にしたかった」と振り返る。作曲した音楽教諭の藤田浩さん(54)は「今の生徒たちが歌いやすいようアニメソング的な曲調も意識した」と明かす。

 合併で1999年に開学した大分県の明豊の校歌は南こうせつさんが作曲。2003年に校名変更した福岡県の福岡魁誠はロックバンド「チューブ」の前田亘輝さんらが手掛けている。

 渡辺教授は「考え方が多様化している時代。積極的に新しさを取り入れたい学校の姿勢も感じさせる」と評価している。

◆校歌作り40年超 小椋佳さんの思い

 「シクラメンのかほり」や「愛燦燦(さんさん)」などのヒット曲で知られるシンガー・ソングライター小椋佳さん(73)は、小学校から大学まで約八十校もの校歌を作ってきた。フォークやニューミュージックで活躍してきた小椋さんが作る校歌は、最近の流れを先取りしてきたともいえる。四十年以上のキャリアの中で、校歌にこめた思いとは。

 −校歌作りで心掛けてきたことは?

 校歌はある意味、お仕着せの歌。だからこそ押し付けがましくなく、生徒たちが歌う気になる歌にしないといけない。歌謡曲と違い、人生に前向きな言葉を使わねばならない制約もある。いい歌を作るために、学校から資料や生徒の作文集を借りたり、現地に赴いて生徒の話を聞いたりして参考にします。

 −校歌を作る際、時代によって変化はある?

 ありません。意識しているのは、その学校のオリジナリティー。それぞれ環境も地域性も異なるわけで、どこにでもあるような歌詞や旋律では困りますよね。

 −一曲を作るのにどれくらいの時間が必要?

 長くて三日です。構想する時間は半日のときもあれば、一カ月かかるときもあります。

 −校歌は末永く歌われますね。

 時として、歌は人の座右の銘になったり、精神の支えになったりもします。卒業後、クラス会で校歌を歌えばそれぞれの体験した時代も思い出すでしょうし。ですから真剣に校歌を作っています。

◆校歌へぇ〜そうか

★日本一短い!?

 ▼上宮(大阪)

 浄土宗を母体に一八九〇(明治二十三)年に創立され、宗祖の法然上人が詠んだ「月影」を校歌とした。わずか三十一文字で、一分ほどで歌い終わる。歌詞は「月影の いたらぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞ澄む」で、作曲者は不明。系列校の上宮太子(大阪・太子)でも採用。

★こちらは長〜い!?

 ▼諏訪清陵(長野・諏訪)

 八番まである第一校歌と十番までの第二校歌があり、全て歌うと約十分かかる。第一校歌では八ケ岳や諏訪湖の風景が、第二では中国の史話に基づく青年の気概が歌われる。特に第二は漢文調で難しく、覚えるのもひと苦労。卒業生らの作詞作曲で一九〇三(明治三十六)年制定。

★軍艦マーチ   

 ▼盛岡一(盛岡)

 「♪守るも攻むるも黒鉄(くろがね)の」で知られる軍艦行進曲の旋律をそのまま使用。行進曲と比べて、ゆっくりと歌われる。〇八(明治四十一)年、当時の在校生が選曲し「秀麗高き岩手山 清流長き北上や」などと歌詞を付けた。野球場での応援では「バンカラスタイル」の応援団員が活躍する。

★五輪メダル祝い 

 ▼至学館(名古屋)

 本紙の飯尾歩論説委員(57)が作詞作曲したポピュラー調の曲。交流のあった女子レスリングの吉田沙保里さんら中京女子大(現・至学館大)の三選手が二〇〇四年のアテネ五輪でメダルを獲得したお祝いにプレゼントした。付属高が〇五年に共学化され「至学館高」に改称された際に校歌となった。

 

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