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【放送芸能】

人の命を慈しむ 反戦歌、革命歌から始まった 加藤登紀子

「歌の力を最大限に解放し、聴いている人の心の中に入っていきたい」と語る加藤登紀子

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 半世紀余にわたり、反戦歌や革命歌、望郷の思いを歌い上げてきた加藤登紀子(74)が今月、自らの半生を振り返るベストアルバムと自伝を出し、日本とロシアでのコンサートに乗り出す。戦中の満州(現・中国東北部)ハルビンで生まれ、亡命ロシア人の歌で育ったという加藤の歌手人生は、民主化や戦争反対を求める声で揺れた一九六〇年代に始まる。「歌うことは過去と未来をつなぐこと」という「おときさん」の見つめる先は。(池田知之)

 東京大学在学中の一九六五年に日本アマチュアシャンソンコンクールで優勝し歌手デビューした加藤は、六八年の卒業式をボイコットした学生のデモに加わり、後に夫となる学生運動の活動家、藤本敏夫さんと出会う。海外では、チェコスロバキアで民主化運動「プラハの春」、フランスで反体制運動「五月危機」が起きた激動の年。「これまで多くの革命歌や反戦歌に出合ってきたが、そうした歌は、人の命を慈しむいわば熱烈なラブソングでもあるんです」と加藤は言う。

 藤本さんはこの年の初デートで、森繁久弥さんが作詞作曲した「知床旅情」を歌って聴かせてくれたという。「とても上手でびっくり。胸を打たれてしまいました」と振り返る。

 七〇年に自らレコーディングした「知床旅情」をシングルカットすると百四十万枚を超えるミリオンセラーとなり、代表曲の一つになった。「ヒットした時(藤本さんから)『俺の歌だったのに』と言われたこともありますよ」と笑いながら懐かしむ。

 コンサートのタイトルとなった「花はどこへ行った」も、ベトナム戦争に反対する米国の若者の間で広まった反戦歌だ。「誰のためとか、何のためではなく、あらゆる人のために歌いたい。コンサートでは体中が愛に包まれる仕掛けになっていますよ」とアピールする。

 十八日には自ら三十五曲を選んだ二枚組みベスト盤「ゴールデン☆ベスト TOKIKO’S HISTORY」を発売。自伝「運命の歌のジグソーパズル」は二十日に出版される。

 コンサートは二十一日、東京・渋谷のBunkamuraオーチャードホールで。その後、六月に神奈川・よこすか芸術劇場など国内三カ所で開いた後、ロシアのユジノサハリンスクとウラジオストクを回る。問い合わせはトキコ・プランニング=(電)03・3352・3875=へ。

 

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