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【放送芸能】

フィーバーをもう一度 人気じわり ディスコ50年

幅広い年齢層が集うサンデーディスコ=東京・西麻布で

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 日本にディスコが誕生して今年で50年となる。1990年代のバブル崩壊と長引く不況で徐々に姿を消し、特定のジャンルの音楽をかける「クラブ」に取って代わられたが、ここに来て、日曜日の昼間やホテルで開かれるディスコイベントが静かな人気を呼んでいる。ディスコ復活の兆しを探ってみた。 (池田知之)

 「サンデーディスコにようこそ!」。東京・西麻布のホールにDJ OSSHYオッシーさん(52)の声が響く。76年の大ヒット曲、アバの「ダンシング・クイーン」が流れると、大きな歓声が上がる。客層の中心は40〜50代。ミラーボールが回る中、約150人が無邪気に踊り続けた。

 埼玉県蕨市の女性(24)は父親(59)と一緒に訪れた。「昔の曲も違和感はない。新鮮です」と笑顔だ。1〜2カ月に1回開かれるイベントに父娘でほぼ毎回参加する。20代のころにディスコでよく遊んだという父親は「娘と一緒に楽しめるのがいい。昼間のイベントなので親としても安心です」と笑う。

 2012年からFM局でディスコ番組のパーソナリティーを務めるOSSHYさんは「昼の番組だが、子育て主婦や中高年のリスナーの反応が良かった。昼の方が健全で来やすいと思った」とイベントの狙いを明かす。

 六本木の高級ホテル「グランドハイアット東京」で昨年末に開かれたディスコイベントには約1300人が来場。14年から毎年1〜2回開き、楽しみにしている客も多いという。渋谷のセルリアンタワー東急ホテルでも15年以降、計3回開催。東京スカイツリーで昨年2〜3月と今年1〜2月の金曜夜に開かれたディスコイベントは冬の風物詩になると期待される。

 伝統の名前を継ぎ、10年に開店した「マハラジャ六本木」も週末には250人ほどの客でにぎわう。1980〜90年代に全国で50店舗以上を展開した運営会社とは別の経営だが、金色のゾウをシンボルにするなど、当時のイメージも継承する。

 店によると、2年ほど前に比べて客は3割くらい増加。大阪や名古屋に次いで、昨年は京都や仙台にも姉妹店がオープン、人気は地方にも広がりつつある。

 75年に新宿で開店し、さまざまな文化人が集ったことから伝説のディスコとされる「ツバキハウス」で店長を務め、その後「芝浦GOLD」など有名店の立ち上げに関わった佐藤俊博さん(66)は、最盛期に六本木で100店近く、新宿で約50店のディスコがあったと証言する。

 東京・赤坂に日本初のディスコ「ムゲン」が開店したのが68年。米映画「サタデー・ナイト・フィーバー」が日本公開された78年は日本のディスコの「大衆化元年」とされる。バブル期の「ワンレン」「ボディコン」「お立ち台」は社会現象にもなった。

 しかし、バブル崩壊でブームも終焉(しゅうえん)。その後は音楽の多様化もあり、ヒップホップやレゲエを専門的にかける「クラブ」が主流に。ディスコとクラブを分ける明確な定義はないが、クラブDJでもあるOSSHYさんは「ディスコがデパートで、クラブは専門店」と説明する。

 ディスコ文化の静かなブームにレコード会社も注目する。ユニバーサルミュージックは3月、人気のディスコ曲を集めた3枚組みCD「レッツ・ディスコ」を発売。5000セットが売れれば好調とされる中、1万5000セットを出荷し、期待の大きさを反映した。ソニー・ミュージックも6枚組みCD「オール・ザット・ディスコ100」をリリースし、5000セットを出荷している。ユニバーサルの担当者は「分かりやすいメロディーの曲が多く、広く受け入れられやすい」と話す。

◆最後の決めはTRFだね! DJ KOOさん ディスコへの思い

 デビュー二十五周年を迎えた音楽ユニット「TRF」のリーダーDJ KOO(コー)さん(56)のキャリアは、ディスコのDJから始まった。個性的なキャラクターが愛され、バラエティー番組でも活躍する人気者に、自らのルーツへの思いを聞いた。

−ディスコとの出会いは?

 一九七九年、専門学校生だったころです。新宿のディスコなどで遊びまくっていました。専門学校のサークルのパーティーでディスコをする時があって、DJっぽく「さあ、今夜も盛り上がっていこう」とまねしたら、意外とイケてて。十九歳のとき、新宿にあったディスコで見習いを始めました。店ではDJブースの掃除をして、先輩がかけたレコードを覚えて仕事を学びました。DJ仲間とリミックスチームを組んでCDを出し、久保田利伸さんや早見優さんの依頼で、楽曲のダンスミックスの仕事もするようになりました。

−TRFをプロデュースした小室哲哉さんとの出会いは?

 九〇年代初め、小室さんがTMネットワークと同時にソロ活動もしていたころです。当時、ロンドンでレイブイベント(一夜限りの大規模なダンス音楽イベント)が人気で、新しい音楽に敏感な小室さんは、レイブを日本で開きたかったんです。それならDJとボーカル、ダンサーが必要だろうと結成されたのがTRFでした。

−今でもディスコやクラブで活躍している。選曲は事前に決めている?

 決めた通りにはいかない。お客さんのノリを見て、ピークで盛り上がるようにその場で選曲しています。とにかくお客さんに元気になってもらおうと。忙しく働いている人や勉強している人、そうでない人も「よーし、元気になったぜ」と帰ってもらえたら最高です。やっぱり最後はTRFの曲で決めたいですね。プロレスの決め技じゃないですけど。

 

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