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【放送芸能】

伝統芸能、粋に朝活

舞台ではすり足の実技指導が行われた=東京都中央区の観世能楽堂で

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出勤前の早朝、ビジネスマンがスキルアップやリフレッシュのため取り組んでいる「朝活」で、伝統芸能が注目されつつある。能楽や邦楽、日本舞踊などの伝統芸能は、姿勢や呼吸法に気を配るため、健康増進に効果があり、日常と異なる体験が集中力を養ったり、気分転換になったりするという。「早起きは三文の徳」とは、先人の教え。伝統ある芸事で、あなたも得(徳)してみませんか。 (神野栄子)

 東京・銀座の午前七時十分。観世能楽堂の「朝イチ能楽サロン」が始まる。この日の受講生は二十〜七十代の約十五人。プロ能楽師の金子聡哉(としや)さん(46)と武田宗典さん(40)が能の解説をし、すり足や謡の発声を指導する。

 会社経営の岩田理栄子さん(59)は「謡を声に出すとスッキリして一日を気持ちよく過ごせる」と笑顔。会社員水野恵さん(52)は「朝稽古で心穏やかになり、仕事の直感力がさえる」と効果を口にする。

 「朝活」が注目され始めたのは十年ほど前。東京・大手町の大企業の若手・中堅社員らが語学や読書、趣味でスキルアップを図ったり、ネットワークを広げたりするのに活用した。「朝イチ−」は昨春開場した能楽堂の呼び水にしようと、宗家の観世清和さん(59)が発案。全五回の講座と舞台の鑑賞会をセットにしたプログラムで、昨年夏に始めた。武田さんは「出勤前の八時十分に終わらせることに神経を使う」と話す。

 千代田区平河町の午前七時。日本舞踊「花柳流」の花柳輔蔵(すけぞう)さん(38)の稽古場に張りのある声が響く。「一、二、三、腰を入れて!」。マンツーマンで指導を受けるのは会社員荒瀬寛さん(41)。三年前、輔蔵さんの舞台を鑑賞し、日本舞踊に興味を持ち習い始めた。月二回の朝活で「体の重心のかけ方が分かってきて姿勢が良くなった」。輔蔵さんは「呼吸しながら上半身の力を抜いたり、腰を安定させたりする稽古で体幹が鍛えられる」と勧める。

 大田区大森の午前七時十五分。夜は芸者とのお座敷遊びが売りの「大森茶屋」に、祝賀曲「三番叟(さんばそう)」が流れる。邦楽囃子方(はやしかた)の福原鶴十郎(つるじゅうろう)さん(53)の掛け声で、三人の女性が小鼓をたたくと「ポン!」と軽快な音が響いた。

 この春開講した「小鼓教室」に通う四十代の会社員小野寺悠子さんは、歌舞伎を見て伴奏の囃子に興味を持った。「はじけるような音に癒やされ、気分がリセットできる」と満足顔だ。鶴十郎さんは「初心者もポンといういい音が出ると魂を揺さぶられるようです」と分析する。

 一方で、朝活が必ずしも活況を呈するわけではなさそうだ。常磐津斎桜(ときわづさいおう)さんは三年前に秋葉原で朝活の三味線教室を開いたが、生徒の集まりが悪かった。一昨年、人形町に教室を移し、午前九時〜午後八時に変更したところ、会社員や主婦が通うようになったという。「都会の生活は多様で、個々のニーズに合わせることが大切だと思います」

◆学びにふさわしい緊張感は朝に

 朝の稽古がいいのはプロも同じ! その道八十年余の人間国宝、狂言方和泉流の野村万作さん(87)は朝の稽古を大切にして、芸を磨いてきた「朝活の達人」。その極意を聞いた。

−稽古は朝が中心?

 父(六世野村万蔵)の稽古はほとんど夜はなかった。朝の稽古で一日が始まるのが当たり前。つまり、朝の稽古は修業の始まりだった。今もよほどのことがない限り申し合わせ(リハーサル)は午前中です。

−朝の稽古で忘れられないことは?

 一九九三年の「釣狐(つりぎつね)」の連続公演の際、アクロバティックな所作があるので、息が上がるのを抑えようと体を鍛えた。縄飛び三百回の後、当時住んでいた十五階建てマンションの階段を一階から最上階まで駆け上がっていました。

−今、日本舞踊や謡などを朝に習う人が増えているようです。

 声を出して所作を学ぶとすっきりするし、ピリッとする。その緊張感で、仕事に対する意気込みや創造性が生まれるのではないでしょうか。仕事をして疲れきった後ではなく、一日の始まりに稽古することは新鮮な心持ちでできると思います。伝統芸能を学ぶのにふさわしい緊張感も朝にあると思う。とても意味がありますね。

◆記者も小鼓に挑戦! あぁ音が…

 福原鶴十郎さんの小鼓教室に記者も参加させてもらった。普段こんな早朝から活動することはないが、ほかの受講者がたたく「ポンポンッ!」という軽快な音で目が覚める。

 いよいよ初めて小鼓に触れる。桜の木の胴と馬の革、麻ひもでできた小鼓は約八百四十グラム。それほど重くはない。鶴十郎さんに教わり、左手で持ち、右肩の鎖骨辺りに置いて右手でたたく。

 ぺん…。

 想像していたような音は出ない、響かない。何度たたいても、ぺんぺん…。

 そのうち変な姿勢になっていたようで、鶴十郎さんに「まっすぐ前を見て、顎を下げて」と注意される。私の右手に鶴十郎さんが手を添えて、たたくとポンッ! きれいな音が出て驚いた。ポンポンッと軽快な音が続くと楽しくなってくる。

 しかし、鶴十郎さんが手を離すと、ぺんぺん…と元に戻る。手を添えてくれた時の感覚を思い出してたたくと、ときどきポンッといい音が出る。手首のスナップを利かせることが大切なのだそうだ。音の高低は麻ひもを握る強さで調節する。鶴十郎さんがたたくと音程を変えながら力強く響く。朝からあんなふうに音を出せたら、気持ち良さそうだ。

 体験後「筋がいいですよ!」と鶴十郎さん。お世辞でもうれしくなった。正座しているように見えるが、小さな座いすがあり、足はしびれなかった。 (猪飼なつみ)

 

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