東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 放送芸能 > 紙面から一覧 > 記事

ここから本文

【放送芸能】

TBS「落語研究会」 「噺家憧れの高座」半世紀

 名人を多数輩出してきたTBSテレビ主催の落語会「落語研究会」が五十周年を迎えた。出演する噺家(はなしか)には超大作や難しい演目を課し、本格派のための鍛錬の場として知られ、通のファンも多い。噺家はその試練を克服してこそ「十八番」の演目を得て大成する。今も落語家が憧れる研究会の半世紀は。 (神野栄子)

 九月下旬、東京・国立小劇場。六百三回目の研究会はいつものように年配ファンを中心に、じっくり聴こうと構える人たちで五百九十の客席が埋まった。

 「何回出ても緊張する。勉強になるが、腕が試されるところでもあり怖い」と明かすのは桂文治さん(51)。この日は先代古今亭今輔さん(一八九八〜一九七六年)が手掛けた創作人情噺(ばなし)の名作「ラーメン屋」を約四十分かけ熱演。稽古の成果が実り、観客の反応も上々で手応えをつかんだ=写真。

 月一回開催されるTBSテレビ「落語研究会」は二つ目が一人、真打ち四人が登場する。会場の雰囲気は熱いが客の笑いは少なく、寄席とは違う緊張感が漂う。草創期から通っているという都内在住の古谷福敏さん(67)は「(六代目)三遊亭円生、(八代目)桂文楽、(五代目)柳家小さん、(三代目)古今亭志ん朝…。名人芸に魅了されてきたね」と懐かしむ。二十年以上通う六十代の主婦は「ここは客が笑わない。演者は笑わせようとすると焦って滑る」と特徴を語る。

 研究会は会員制。年会費を前納すれば十二回同じ席で聴ける「定連(じょうれん)席」が五百三十席を占め、六十席は当日券が三千八百円などで販売されている。

 研究会の起源は一九〇五年にさかのぼる。落語界に危機感を持っていた初代三遊亭円左、四代目橘家円蔵らが「研究」「育成」「寄席改良」を目指し「第一次研究会」を立ち上げた。関東大震災や第二次大戦の激化などによる中断もあったが、五八年まで続いた第四次まで実力派を生む会として、演者からも客からも信頼されてきた。

 現在の第五次は十年の空白を経て、六八年にスタートした。ラジオ東京(現TBSラジオ)の開局時から専属契約していた六代目三遊亭円生さんらと局の思いが一致し、質の高い「ホール落語会」をつくることになった。落語家は運営に一切携わらず、主催するTBSが落語会を収録し、後日放送している。

 半世紀同じ志が貫かれているのは、名プロデューサーとして知られた白井良幹さん(一九二六〜二〇〇五年)の力が大きい。白井さんが演者を選び、その噺家にふさわしいと思う演目を披露するよう注文した。噺家は必死に稽古し、研究会で“勝負”してきた。

 長年運営に携わっている事務局の広中信行さん(59)は「白井は出来が悪ければ噺家に『めくり(演者名を書いた紙)を持って帰りなさい』と叱っていた」と振り返る。その“白井イズム”により、実力派や本格派が続々誕生。白井さんから引き継いだ今野徹さんは午後六時以降、仕事の予定を入れず、寄席や落語会に日参、有望株を調べていたという。

 近年は林家ぼたんさん(38)、柳亭こみちさん(43)ら女性噺家や、飛躍しそうな二つ目も見いだしたが、昨年十二月に五十七歳の若さで死去した。遺志を継ぐ広中さんは「若手育成は研究会の理念。現場主義に徹し、時代に合った運営をしていきたい」と見据える。

 長年、研究会を見ている演芸評論家の渡辺寧久さん(56)は「若いファンを増やすためにも出演者を固定せず、幅を持たせることが大切。スタッフは寄席に足を運び、隠れた才能を発掘すべきだろう」と指摘する。

 TBSテレビで第三日曜の午前四時から一時間放送。日時は異なるが、BS−TBSと、CSのTBSチャンネルでも放送している。

◆柳家権太楼さん 依頼された「百年目」は10年費やした

 ベテラン柳家権太楼(ごんたろう)さん(71)は学生時代、研究会の会員で常連客だった。プロとなり「憧れの高座」に格別な気概を示して、爆笑落語や人情噺(ばなし)に挑み続けている。初出演以来約四十年、研究会への思いを聞いた。

−一九七〇年代、二つ目の頃から出演していたそうですね

 開口一番で上がる頃、お客はロビーにいた。僕は生意気だったからロビーに向かってしゃべっていた。

−白井プロデューサーから言われたことは?

 当時、上方の桂枝雀師匠が全盛期で「枝雀を見ろ。君の落語はこの人が手本だろう」と言い、よく共演させていただいた。「枝雀を目指せ。東京の枝雀になるんだ」とおっしゃったことは忘れられない。

−今野プロデューサーからは?

 (商家を舞台に堅物の番頭が主人公の)「百年目」を依頼されたが、最初は断った。僕のようなタイプがやるもんじゃないと思ったから。でも「やるには一年下さい」と言い、師匠方の音源を集めて研究を重ねた。結局、自分のものにするのに十年費やした。

−「百年目」はいつ披露?

 六十歳の頃だったか。今でも全部未完成、落語に絶対はないからね。

−「爆笑高座の権太楼」は看板になった。研究会に携わる落語家の心構えは?

 寄席に出てトリも取って、いろんな落語会にも出て力をつけないと研究会には挑めないと思う。柳家さん喬さんや五街道雲助さんら、僕ら世代が師匠たちから受け継いだバトンを若手につないでいくことかな。

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報