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【放送芸能】

85歳・仲代達矢 無名塾 わが大家族 役者養成「どう生きる」問い続け

若手塾生の稽古を見つめる仲代達矢さん(右)=東京都世田谷区で

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 日本を代表する俳優仲代達矢さん、八十五歳。演劇や映画の世界で七十年近く輝きを放ち続け、私費を投じて主宰する「無名塾」は誕生から四十三年、無償で俳優を育て続ける。そんな仲代さんだが、最近「老いを強く感じる」と言い、次回作は「最後の舞台になる」との覚悟で臨むという。亡き妻で、ともに無名塾を支えた宮崎恭子(やすこ)(筆名・隆巴(りゅうともえ))さんとの生きた証しの舞台を見てほしいと願い、名優は稽古場に立つ。 (竹島勇)

 「声の幅を広げて。腹式呼吸で響かせないとお客さんに届かない」。チェーホフ作の「かもめ」の一場面を稽古する朝日望(のぞみ)さん(22)と中山正太郎さん(21)に、仲代さんの厳しいダメ出しが飛ぶ。昨年入塾した第三十一期生の二人は真剣な表情で、せりふを繰り返した。

 東京都世田谷区の閑静な住宅街にある無名塾の稽古場「仲代劇堂」。約百三十平方メートルの板張りの空間で、仲代さんは孫のような年齢の塾生と向き合っていた。左手は、隣にあるディレクターズチェアの肘掛けをそっと握っている。宮崎さんが生前座っていた椅子だ。壁にかかる宮崎さんの写真が稽古を見守る。「宮崎と二人で教えるから、個性を見るには一期五人程度がいい。礼儀作法から人間どう生きるべきかを教えた」

 しかし一九九六年、宮崎さんが六十五歳で亡くなり存続の危機に。「手足をもがれたような気持ち」で「もうやめようか」と落ち込んだ仲代さんだったが、妻の遺志を尊重して奮い立った。「仲代劇堂をつくるために銀行から借りた三億八千万円は二十年かかって二年前に返済しました。自分の代で返そうとCMにも出た」と笑顔で話す。

 今も週一回は稽古場に立つ。そんな無名塾は「ひとりぼっちの老優にとっては大家族であり、おれも負けないぞと感じさせてくれる仲間」という存在だ。

在りし日の妻・宮崎恭子さん。無名塾をともに創設した

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◆「次が最後」覚悟 反戦、反体制貫く

 「老いはね、それは感じますよ。十二月には八十六歳です。記憶力が落ちてせりふが入らない。足腰は痛いし…」

 昨秋から今春にかけ、全国で約百回上演した塾公演「肝っ玉おっ母と子供たち」(ブレヒト作)。稽古は二カ月だが、仲代さんは四カ月かけてせりふを覚えた。本番中は舞台袖で酸素吸入を受けた。老いと向き合い、新しい感覚が芽生えた。「演じているともう一人の仲代達矢が『その演技は違う、違う』ってささやく。俯瞰(ふかん)して冷静になる。この年齢まで続けてきたから感じるのかな」。自分との対話からは、より良い演技が生まれるという。

 自分は新劇人、との思いが強い。四五年五月の「山の手空襲」の際、九死に一生を得た体験を持つ。「戦争と平和、反権力、反体制を大切にしたい」と掲げ、近年の作品選びの基準にしているという。「肝っ玉おっ母と子供たち」も反戦劇として上演した。

 次回作は来年から再来年にかけて「タルチュフ」(モリエール作)を上演する。金や女性にだらしない詐欺師で偽善家の物語。仲代さんは「反体制劇。最近のニュースを見ると、政治家も上流とされる人も詐欺師のようじゃありませんか」とニヤリと笑った。

 塾公演は四十周年となり、主演の七作品を映像で観賞する上映会「映像で観(み)る無名塾劇世界2018」を十日から仲代劇堂で開く。一作を除き宮崎さんが演出し、カメラのカット割りを決め撮影用に演じた。「消えてしまう舞台を、私がいなくなっても見てもらえるよう彼女が残してくれた。彼女とつくった舞台を若い人にも見てほしいと思って開きます」と力を込めた。

◆亡き妻が残した劇世界 稽古場で上映会

 映像で観る無名塾劇世界2018 10〜25日(昼・午後1時半、夜・午後6時半)

▽「どん底」(1985年)=10日昼、13日夜、22日昼

▽「プアー・マーダラー」(86)=15日昼、20日昼

▽「ルパン」(87)=11日昼、17日夜、23日昼

▽「令嬢ジュリー」(91)=12日昼、17日昼、21日夜

▽「リチャード三世」(93)=13日昼、18日昼、24日昼

▽「ソルネス」(95)=14日昼、19日昼、25日昼

▽「セールスマンの死」(2002)=16日昼、21日昼、24日夜

※各回80席、有料。仲代さんとゲストのトークショーがある回も。無名塾=(電)03・3709・7506。

<なかだい・たつや> 1932年、東京生まれ。52年、俳優座養成所に入所。55年に俳優座入団。舞台「ハムレット」「リチャード三世」「どん底」、映画「人間の條件」「切腹」「影武者」「乱」、NHK大河ドラマ「新・平家物語」など数多くの作品に出演。無名塾発足から4年後の79年、俳優座退団。2015年、文化勲章受章。16年、アメリカ映画芸術科学アカデミー会員。

<無名塾> 1975年、仲代さんの自宅稽古場に若者たちが集まり稽古を付けるうちに発足。月謝などの指導料はない。塾名は無名の若者が学び、どんな役者も無名になったつもりで修業に帰って来る場から。77年から塾生を公募。78年から塾公演開始。94年、新稽古場「仲代劇堂」完成。現在は31期の塾生4人と修了後も籍を置く塾員33人で構成。塾生は稽古専念のためアルバイト禁止などの規則がある。200人余の俳優を育成。主な出身者に役所広司さん、益岡徹さん、滝藤賢一さんら。現塾員に渡辺梓さんら。

 

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