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【放送芸能】

<平成エンタメ潮流 新時代へ> (中)均一から個に

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◆映画 行定監督の視点

 ミニシアターブームに沸き、シネマコンプレックス(シネコン)が普及、最近は動画配信で鑑賞−。平成の映画界をたどり新時代を見据えるのは、国内外で評価されている行定(ゆきさだ)勲監督(50)。激変したこの三十年を「日本映画が若い世代に受け入れられた」と実感を踏まえつつ、これからを「再び映画に個性が求められる時代。僕なりのオリジナリティーを見つけたい」と語る。

 平成初期、日本はミニシアターが隆盛を迎えていた。劇場個々が特徴を持ち、世界の個性的な作品が上映された。「監督が十人いたら十通りの多様な映画を見ることができ、目指すものはこれだというものがあった」。そのころ、日本映画は低迷し期待されていなかったという。「当時助監督でしたが、それを覆したい。日本映画が評価されてほしいと思っていた」

 二〇〇一年に手掛けた「GO」は、自身にとって転換期となった。在日韓国人が主人公の青春物語で、さまざまな映画祭で評価された。そして〇四年、白血病の少女を巡る純愛物語「世界の中心で、愛をさけぶ」は興行収入八十五億円の大ヒット。若年層への浸透に手応えをつかんだ。

 「日本映画で劇場に観客を戻したことはプラスだった」と語りながらも、複雑な胸中もにじませた。当時、シネコンでの上映が主流となり、テレビと連携して大量に宣伝を流したり、テレビドラマの完結編を映画にしたりする流れができた。そのきっかけの一つとなったのが「セカチュー」。「普通に青春映画として成り立つように作ったつもりだったけれど…」

 シネコンによって「映画が店に並べられた商品のようになった」と語る。お客さんの入り具合によって、一日に何度もかける作品もあれば、上映回数を減らす作品もある。そんな戦略が定着した。「お客さんのニーズに応えた作品がヒットし、映画がファスト化して均一的になった」と言う。「たとえ、その時面白くても、忘れられるのも早い気がする。僕は映画は百年残る可能性があると思っているけれど」

 しかし、平成の終わりが近づいた今、「均一化された作品も飽和状態になり、ミニシアター(の作品)が見直されている」と感じる。昨年末、“ミニシアターコンプレックス”の趣を持つ「アップリンク吉祥寺」が東京都内に誕生したことを一例に挙げた。

 有料動画配信サービスが製作したオリジナル作品が世界の映画祭で評価される時代になったことも意識する。「動画配信は(作り手が)スキルを試せる場であり、商業ベースで作りにくいものを作る自由度がある。日本になじむのはまだ先かもしれないけれど」

 ベルリン国際映画祭などでも評価された経験から「日本や日本人はこういう側面があったのかと思わせる映画が世界で受け入れられるのでは」と見る。例えば、若者たちの生きづらさを描いた「リバーズ・エッジ」(一八年)。「日本は貧困や戦争、テロとあまり関係なくて表面は笑顔で楽しそうなのに、裏では社会や仲間を憎悪し、どうにもできない環境を突き抜けようと苦渋する。そういう何げない日常の日本らしさを面白いと思ってくれたのかも」

 「青春物語の名手」として数々の映画を手掛けてきた。平成に培った技巧と思考を糧に「多様性の一画を見せていきたい」と次の時代に意欲を見せた。 (猪飼なつみ)

2003年、映画「世界の中心で、愛をさけぶ」の製作報告会見で。出演者と行定監督(右)=東京都世田谷区で

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