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【放送芸能】

戦争を撮る 平和のために がんと闘いながら映画製作続ける大林宣彦監督

「戦争を背後に青春を生きた先輩たちは、自分ができなかったことを我が子にやりとげさせてやりたいと思っていた」と父母への思いを交えて語る大林宣彦監督=大分市で(日本劇作家協会提供)

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 がんと闘いながら映画製作を続ける大林宣彦監督(81)が大分市で開かれた日本劇作家大会に登場し、おいの劇作家、平田オリザ(56)と対談した。半生を語る中、平和への強い思いをにじませた大林監督は近年、戦争をテーマにした作品を手掛けている。自身を「自ら平和をつくる大人として生まれた世代」と強い使命感を語った。 (酒井健)

 大林監督は、故郷の広島県尾道市を舞台にした「転校生」などの“尾道三部作”で知られる。現在編集作業中という新作「海辺の映画館−キネマの玉手箱」も尾道で「戦争と原爆」をテーマに撮影し、来年春ごろの公開を予定している。

 大林監督が若き日に、平田の父でシナリオライターだった穂生(さきお)と映画を撮ったこともあることから、劇作家陣からの強い要望も受け、対談が実現した。

 対談で大林監督は、敬愛する小津安二郎監督(1903〜63年)の足跡を紹介。「戦意高揚映画を撮れと言われて東南アジアへ行ったが、1カットも撮らずに帰ってきた。それが国家への唯一の抵抗だった。これが先輩の姿。その薫陶を受け、私はここにいる」と述懐。小津監督を「米映画のまねはせず『日本の豆腐の味を作る』と言って、カメラがぴたっと止まったままの静かな映画を撮った。それを世界が発見し今、世界の小津がいる」とも振り返った。

 映画や芸術に興味を持ったのは戦時中。「実家の蔵の中で見つけた二つの宝物」がきっかけだという。一つは金属部品が軍に供出され音が鳴らなくなったピアノ。戦後、軍医だった父が戻り、譲り受けた中古ピアノを「昼間に窓を開けて弾いた」と終戦直後の解放感を語った。もう一つが父が愛用していた活動写真の映写機。その父は、大林監督が医師を継がず映画を志して上京する際、「好きな道を行きなさい」と8ミリカメラを持たせてくれた。

 「1日に10人は、顔や名前を知っている人が死んだ知らせを聞いて育った」と話す大林監督は作品で平和を問い掛ける。憲法9条を評価し「(憲法が)押しつけられたか自分で作ったか、そんなことを言っても仕方がない。売り渡してはいけない」と強調した。改憲の動きを踏まえ「負けたことから学ばず、あの戦争さえなかったことにしてしまうのがこの国の正体。小津さんは、断念と覚悟をへて再生した」と警告した。

 映画の役割を「過去の歴史を戻すことはできない。しかし、未来を変える力はある」と強調。「過去から学んで未来を願い、いま何をするか。自分に正直に一生懸命生き、過去がこうだから、未来がこうだろうと考え、そのために全力を尽くす。アートをやる唯一の方法だと思う」と力強く語った。

◆「とんでもない死に方はしねえぞ」

 大林監督は対談終了後、報道陣の取材に、自身の体調について「がんなんですが、もうほとんどない」と説明した。「(がんを)意識したことは一度もない。老いて死ぬのは平和でよいけれど、がんで死ぬのはとんでもないこと。とんでもない死に方はしねえぞと決めている」と力強く語った。

 

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