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【伝統芸能】

重ねた努力 古希過ぎ円熟 追悼 中村雀右衛門さん

 「遅れてきた女形」。もう三十年くらい前になるだろうか、初めて中村雀右衛門さんにインタビューした時に聞いた言葉だが、その後もしばしば耳にした。一代で名脇役の地位を築いた父の六代目大谷友右衛門のもとで名子役が立役に進み、一九四〇年十二月の歌舞伎座公演中に「赤紙」が来て、十四日まで勤めたあと応召した。

 復員後、二十七歳から女形の道を歩み始めた。すでに三歳上の六代目歌右衛門、五歳上の七代目梅幸が華々しい活躍を見せていた。

 昨年亡くなった中村富十郎、中村芝翫も同様だったが、この世代は上に歌右衛門、梅幸、勘三郎、幸四郎、松緑、下の世代に女形では坂東玉三郎、中村時蔵、中村福助らがいて、いわば谷間の世代だった。

 「遅れてきた女形」はそうした厳しいサバイバルの中で「努力」を忘れないため自戒を込めた言葉だった。スポーツジム通いは、その努力を全うするための肉体トレーニングの一環だった。

 かなり前になるが文学座女優の太地喜和子に誘われていった名古屋のスナックで偶然出会い、酔いに任せて腕の力こぶに触れさせてもらいその固さに驚いた。とはいえ「女形ですからキン肉マンになってはいけないんです」と笑っていた。

 女形として大きく開花し始めたのは七十歳あたりから。喜寿を迎えた九七年に初めて(!)の海外公演でフランスを訪れ富十郎と「二人椀久(ににんわんきゅう)」の松山太夫、「傾城反魂香(けいせいはんごんこう)」の女房おとくを演じ「歌舞伎の若き永遠の神々」(ルモンド紙)、「世界の宝だ」(フィガロ紙)と絶賛された。

 「成駒屋の兄さん(歌右衛門)に教わった通りをなぞっているだけですよ」と謙遜することがしばしばだったが、遅咲きを取り戻そうとするかのようにひときわ光彩を放つ、歌舞伎界を代表する名女形の地位を築き上げた。 (森洋三)

     ◇

 中村雀右衛門さんは二十三日死去、九十一歳。

 

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