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【伝統芸能】

<歌い踊る切手>扇屋夕霧 三世中村梅玉(1991年) 歌舞伎の恩人と名優

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 終戦後のGHQ(連合国軍総司令部)による占領下では、歌舞伎は封建思想を反映しており、軍国主義を助長すると見なされた。当初は多くの演目が上演禁止となった。

 その後、徐々に解禁されていくが、これに貢献をしたとされたのが歌舞伎通で検閲官だったフォービアン・バワーズだ。一時は「歌舞伎を救った男」とまで言われたが、その後の研究で、自分の立場を誇張したり功績を独り占めにした、という批判も出ている。

 しかし「仇討(あだうち)」を称賛している、として最後まで禁止されていた「仮名手本忠臣蔵」の切腹などが描かれる段も解禁し、一九四七年十一月、東京劇場での上演を推進したのがバワーズだったのは確かなようだ。

 毎回のことのようだったが、上演に当たって、バワーズは「えこ贔屓(ひいき)」と言われるほど配役に固執した。

 その贔屓された一人が、三代目中村梅玉だ。「忠臣蔵」では、塩冶判官(えんやはんがん)と戸無瀬(となせ)の二役を演じるよう命じられた。梅玉は、大阪生まれの上方役者。柔らかさの中に気品がある女形として高い評価を得た。養父の二代目梅玉と共に、東京でも活躍したが、この当時は、大阪に戻っていた。それをわざわざ東京まで呼び寄せさせたのだった。

空襲で焼け落ちた歌舞伎座が再建されるまで、歌舞伎の拠点は東京劇場だった(1946年9月、「春日龍神」から)

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 梅玉の当たり役の一つが、「廓(くるわ)文章」の夕霧。「廓文章」は、近松門左衛門作の浄瑠璃を基に書き換えたもので、大坂の大店(おおだな)の若旦那・伊左衛門と遊女・夕霧の恋模様を描いた名作。「吉田屋」とも通称される。この夕霧の舞台姿は、「歌舞伎シリーズ」として切手にもなっている。 (横浜能楽堂館長・中村雅之)

 

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