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【伝統芸能】

親への究極の思い 僕の実人生そのもの 「瞼の母」初の忠太郎役・市川中車

 市川中車が東京・歌舞伎座の「十二月大歌舞伎」第三部(午後六時半開演)で、股旅物の新歌舞伎「瞼(まぶた)の母(はは)」の主人公、番場の忠太郎を初めて演じる。幼少時に生き別れた母と対面する場面が大きな見せ場となる舞台。一歳の時に実父市川猿翁が家を出て、二十五歳で再会を果たした中車。「親に対する究極の思いを描いたこの舞台は、僕の実人生そのもの」と語り、作品への思い入れの強さを明かした。 (安田信博)

 「瞼の母」は小説家で劇作家の長谷川伸(一八八四〜一九六三年)が自身の境遇を重ね合わせて一九三〇年に発表した自伝的作品。翌年に東京・明治座で十三代守田勘弥の主演で初演されて以降、数々の映画や舞台がつくられ、長谷川の代表作となった。

 柳橋の料理茶屋の女将(おかみ)になっていた母おはま(坂東玉三郎)を捜し当てて対面し、積年の思いを吐露する忠太郎。おはまはわが子と確信しながらも、さまざまな事情、思慮から母心を隠して突き放し、二人は再び別れる運命をたどる。互いを思いやる母子の情愛が名ぜりふを交えて描かれる。

 大学を卒業して本名の香川照之で俳優の道に進んだ中車。父に一目会いたいとの思いが募り、公演先の楽屋を一人で訪ねたという。返ってきたのは「あなたは息子ではない。何者にも頼らず、自分自身で精進し、一人前の人間になりなさい」との言葉。その後、父は狐(きつね)の親子の情愛を描いた「義経千本桜 川連法眼館(かわつらほうげんやかた)」の舞台を泣きながらつとめたことを周囲から聞いた。

 父も猿之助時代に三回つとめた「瞼の母」。二〇一四年十月の歌舞伎座「演劇人祭 特別篇(へん)」では、朗読劇で坂東玉三郎と共演。その際、歌舞伎界入りを機に和解した父からも話を聞いたという。中車は「実人生の体験を表面にベタベタ出すのは歌舞伎の粋とは違う。玉三郎さんの教えも受けながら、皮膚の裏に隠れるように男気(おとこぎ)と寂しさを表現したい」と話す。

 今年一月の新橋演舞場で、代々の猿之助が主役をつとめ「猿翁十種」の一つとされる名作舞踊劇「黒塚」に初めて挑んだ。「四代目(猿之助)が共演の機会を与えてくれた。息子(市川団子)に肌感覚でつないでいく上でも大きな経験だった」と振り返る。

 歌舞伎で初舞台を踏んで五年。「十年間はひよっこ。中車という大きな名前が自分に沿っているかどうか、自身に課していく上でも、香川照之と二つの名前は意味があると思っている」

 第二部(午後三時開演)では、上方落語を題材にした「らくだ」で紙屑(かみくず)屋久六をつとめ、玉三郎とは第三部の舞踊劇「楊貴妃(ようきひ)」でも共演する。

 「十二月大歌舞伎」は二〜二十六日。第一部(午前十一時開演)は「実盛(さねもり)物語」「土蜘(つちぐも)」、第二部は他に「蘭平物狂(らんぺいものぐるい)」。チケットホン松竹=(電)03・6745・0888。

 

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