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【伝統芸能】

<歌い踊る切手>曽我十郎・五郎(1992年) 正月を寿ぐ「儀式」に

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 戦後の映画全盛期、各社は競って、正月に「清水次郎長」「忠臣蔵」などオールスターキャストの作品を上映した。たくさんのスターを抱えていることを誇示するかのようだった。実は、正月にスターを並べるというのは、日本に映画が入って来る前からあった。

 江戸時代、芝居小屋では正月興行に、必ず「対面(寿曽我対面)」が掛かった。「対面」は、鎌倉時代の初めにあったとされる父の仇(かたき)である工藤祐経を討った曽我十郎・五郎兄弟の仇討(あだうち)物語を素材として作られている。「曽我兄弟の仇討」は、「赤穂浪士の討ち入り」「荒木又右衛門の鍵屋の辻の決闘」と並ぶ有名な仇討ちだった。

 江戸時代の武家社会の中で、仇討ちを遂げることは「武士の鑑(かがみ)」、目出度(めでた)いこととされた。町人の間にも、心情的に仇討ちに加勢する雰囲気があり、「対面」も、単なる演目ではなく、正月を寿(ことほ)ぐ儀式といってもよいほどになっていた。「本外題(正式な題名)」にも、「寿」が付いていることからも、そのことが分かる。

能にも「曽我物」がある。「夜討曽我」の観世流・岡本房雄=神田佳明撮影

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 配役は、座頭が工藤、二枚目が十郎、若手の花形が五郎、立女形が大磯の虎というように、役者の顔触れを見て決める。台本も、それぞれの個性を生かした見せ場を作る形で、座付き作者が、その度ごとに作った。いわゆる「当て書(がき)」だ。台本が固定化したのは、明治以降のことだ。

 儀式性が際立つのは、何と言っても、十郎・五郎が登場して、幾通りにも見得(みえ)を切る場面。歌舞伎シリーズとして発行された切手でも、昭和の名優・十七代目中村勘三郎、二代目尾上松緑が、見事な見得を切っている。 (横浜能楽堂館長・中村雅之)

 

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