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【伝統芸能】

東家若燕、うなる三刀流 浪曲、塗装、介護タクシー

 「旅〜ゆけばぁ〜駿河の国にぃ〜茶のかおりぃ〜」。節(ふし)(歌)と啖呵(たんか)(語り)で聴衆の心を揺さぶる浪曲。「百人いれば百通りの節がある」といわれるほど、浪曲師はさまざまだが、個性的なのは芸だけでない。東家若燕(あずまやじゃくえん)(56)は介護タクシー業と塗装業も営む“三刀流”のマルチぶり。近く「四代目港家小柳丸(こりゅうまる)」を襲名予定の異能浪曲師は「浪曲も介護も塗装も情がなきゃできない」と浪花節人生に胸を張る。 (神野栄子)

 若燕は千葉県船橋市を拠点に活動。塗装業の傍ら、二〇一二年八月から介護タクシー業も始め、自らハンドルを握る。安全第一、患者ファーストに努め、利用者からは「丁寧ですね」と頼りにされる。「人情というのは人を思いやる心、人の痛みを分かち合うこと。浪曲の人情話に通じる」

 〇九年春、長年連れ添った妻が卵巣がんで倒れた。ステージ4で摘出もできなかった。「救急車の中で息を引き取りました。四十八歳だった」と無念の思いを振り返り「この体験を無駄にしたくない。困っている人の役に立ちたい」。そんな心意気で始めたのが介護タクシーだ。

 山口県周南市生まれ。母は浪曲師の港家小柳嬢(こりゅうじょう)、父は三味線方の東家秀若(ひでわか)。山陰地方などを地盤にする浪曲一家の一人息子として育った。五歳で初舞台を踏み、十歳で港家若柳を名乗った。高校卒業後、東京の映像の専門学校に進学したが、間もなく父が他界。母の助けになろうと故郷に戻り塗装業を始めた。

 地道に暮らしていたが、浪曲を勉強したくて再び上京。八七年に二十五歳で四代目東家三楽に入門した。塗装業を営みながら、アマチュアとして修業。二刀流の意識が芽生えたころ結婚、長男も生まれた。

 修業のかいもあって、九六年に初めて東京・浅草木馬亭の高座に上がった。日本浪曲協会にも入会、四代目東家若燕の芸名をもらい、プロの道が開いた。

 十年ほど木馬亭に出演して力もついたころ、妻の発病と死に直面。夢がついえた。遺品の整理などが一段落した二〇一一年秋、若燕が歩行中に交通事故に遭い、圧迫骨折で塗装業の休業を余儀なくされた。リハビリなどを経て本格的に木馬亭に復帰したのは一六年五月。浪曲界はスターだった国本武春さんが死去し、男性の五十代の看板が皆無の状態だったため襲名の話が持ち上がったという。

 今回、母子で名乗った「港家」の名前を継ぐ。「おふくろが最後で、その後廃れた『中京節』を復活させたい」と夢を掲げる。低音から発する関東節や高音からの関西節とは異なり、中間音から入る中京節は音階が転調するのが特徴。ゴロのいい啖呵が魅力で「介護タクシー、塗装業のバランスを保ちながら私ならではの人情味あふれる浪曲道を追求したい」と気合もみなぎらせる。

◆「五代目東家三楽」富士協会長が襲名

 若燕の小柳丸襲名のほか、協会の富士路子会長(68)も「五代目東家三楽」を襲名する。十月十一日、東京・浅草公会堂で開催される「第五十二回豪華浪曲大会」でお披露目される。

 

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