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【ベルギー奇想の系譜展】

<池上先生の絵ほどき>奇想の源流の巻 つきまとう死の影

ヤン・ブリューゲル(父)《冥界のアエネアスとシビュラ》1600年ごろ油彩、銅板 ブダペスト国立美術館

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 「西ヨーロッパ全体においてブリュージュほど大規模な商業センターは存在しない。そしてブリュージュの港から出航する船の数は一日に七〇〇隻をこえているといわれている。(…)住民たちはきわめて勤勉であるが、おそらくそれは土地の地味の乏しさによっている。なぜなら、そこではわずかな穀物が育つだけで、葡萄(ぶどう)酒も、飲むのに適した水も、果実も産しないからである。そのため、全世界の産物がこの街に運ばれてくる(…)」−ペロ・タフールの旅行記より(河原温訳)

 ベルギーは小さな国である。面積も九州島から大分県を除いたほどの広さしかない。しかし西洋美術史を学ぶ者は誰でも、この小国が果たしてきた重要性に一度は驚かされるものだ。

 現在のベルギーをまたいでオランダ南部からフランス北東部にかけての地域は、かつてフランドルと呼ばれていた。フランドル伯領がその名の由来で、「フランダースの犬」はその英語読みである。

フェリシアン・ロップス《舞踏会の死神》1865−1875年ごろ油彩、キャンバスクレラー=ミュラー美術館 (C)Kroller−MullerMuseum,Otterlo,Netherlands

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 冒頭に引用したのは、一四三八年にブリュージュを訪れたスペイン人旅行者が書いたものである。ルネサンス当時のフランドルの中心都市はブリュージュで、旅行記からわかる通り一大経済都市として栄えていた。文面にあるように、資源や収穫物に恵まれていないからこそ、フランドルのひとびとはイングランドから羊毛を輸入し、高品質な毛織物に仕立てて付加価値をつけて輸出する加工貿易に活路を見出(みいだ)した。

 こうして「欧州経済の十字路」として繁栄を誇ったフランドルは、周囲の強国には宝石のように見えたに違いない。英仏、スペインなどさまざまな国がここを支配しようと試み、結果的にはプロテスタント圏(今のオランダ)とカトリック圏(ベルギー)は袂(たもと)をわかってしまった。繁栄とひきかえの悲しみの歴史は、この地が生んだ大芸術家たち−油彩画の発明者ヤン・ファン・エイク、ボス、ブリューゲル一族、ルーベンスから、クノップフやアンソール、デルヴォーに至るまで−の作品に、死のイメージとして常につきまとっている。

 (池上英洋=美術史家、東京造形大教授)

 *「ベルギー奇想の系譜」展は東京・渋谷Bunkamuraザ・ミュージアムで開催中。9月24日まで。

 

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