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モネ それからの100年

見えぬ関係性 「モネ それからの100年」展

モネと現代美術の作品が並ぶ会場=横浜美術館で

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 平成三十年は「明治百五十年」の年である。日本が近代国家の道を歩みはじめて百五十年の区切りに、私たちにとって「近代」とは何だったのかを問い直す、そんな企画や展覧会が各地で開かれている。しかし不思議なことに、美術館でこの種の企画を見かけることはほとんどない。

 そんななか本展は、美術の側から「近代」を問い直そうとする、数少ない展覧会のひとつである。モネの作品群に混じって、いわゆる「現代美術」が並べられている。モネが発見した「近代的な視覚」が、現代の表現に続いていることを示そうという意図だろう。さらに常設展では「明治150年、開国の風景 モネと同時代の日本の美術」と題して、明治以降、近代化する日本美術の歩みをたどるセクションがあった。

 しかし、残念ながら、実際の展示内容は大いに疑問と不満が残るものだった。モネの展示に限って言えば、文献研究に基づいた手堅いものだったと評価できるが、併置された現代美術作品との関係は十分に説明されておらず、きわめて恣意(しい)的に選出されているように見えた。解説のテキストでは概(おおむ)ね、モネの「色彩分割」と「筆触分割」を引き合いに出すことによって、現代美術作品との関係を説明しようとしていたが、あまりに単純な表現論(通俗化したフォーマリズム批評)に偏りすぎていると言わざるを得ない。そもそも、その二点だけでは会場に並んでいたウォーホルやリキテンスタインなどは十分に説明できないし、そのような説明では、ほぼすべての現代美術作品が「モネの絵画から技法だけを取り出して応用したもの」に見えてしまうだろう。その意味で、モネをきっかけに現代美術に親しむどころか、現代美術への興味を削(そ)いでしまいかねないキュレーションであった。

 表現論に偏った解説の弊害は、常設展にも大きく影を落としていた。高橋由一(ゆいち)や五姓田義松(ごせだよしまつ)ら、モネと同時代の日本の美術を紹介するセクションでは、モネ展とは全く無関係に、教科書通りの明治美術の紹介に終始していた。と思えば、急に一世紀ほどジャンプして現代日本の抽象画を「色彩分割」と「筆触分割」に関連付けて解説する。残りのセクションでも「ブラッシュストローク」「本歌取り」といった技法名のもとにグルーピングすることで、関係性の希薄な作品群が併置され、「それからの100年」「明治150年」といったフレームは消え去っていた。

 ありふれた言い方だが、優れた美術作品は、何らかの方法でその時代を映し出しているものである。しかし、本展のキュレーションが示していたのは、美術作品を通して時代を見透かそうとする態度そのものの後退であったように思う。「明治百五十年」をテーマにした美術展がほとんど企画されない背景には、時代や社会と美術を切り離そうとする本展のような態度があるのかもしれない。 (黒瀬陽平=美術家、美術批評家)

 *横浜市西区みなとみらい3の4の1、横浜美術館で、9月24日まで。木曜休館。

 

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