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【ヒデキ!カンレキ!! 西城秀樹 感謝の歴史】

(1)何よりも家族 大病乗り切る原動力に

イラスト・赤塚千賀子

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 「いただきます」。僕が手を合わせると「いただきまーす」と、妻と三人の子どもが声をそろえる。食事のとき、ずっと続けているわが家の習慣です。

 病気を患った僕のため、妻は肉や野菜、魚と一週間の中でバランスを考えた食事を出してくれます。食事はまず、おかずを食べて、最後にご飯をいただく。ご飯は一膳より少ないぐらい。今の僕はそれでおなかがいっぱいです。

 四十六歳で結婚し、長女は十三歳で中学生になりました。長男と次男は小学生です。

 朝食後は、登校する子どもたちを「いってらっしゃい!」と送り出します。家を空けることも多いですが、朝昼晩と、できる限り一緒に食べるようにしています。やはり、家族みんなで食べるのがいいですね。

 二度の大病を経験してもステージに戻ることができたのは、何よりも家族の支えがあったから。妻は、一貫して何も言わずに尽くしてくれます。家族で映画に行くと「パパ、気を付けて」と階段で支えるのは長女の役目。体が思うように動かなかったときは、長男や次男がお風呂で背中を流してくれたこともあります。病気を抱えた父親がいると、自然と子どもは成長するんですね。

 僕ががんばっている後ろ姿を子どもに見せれば、感じるものがあるだろう。そういう思いも、発症後に悲観的だった僕が前向きになれた原動力でした。(歌手)

<さいじょう・ひでき> 1955年、広島県生まれ。72年にデビューし、トップアイドルに。「傷だらけのローラ」「ヤングマン(YMCA)」などのヒット曲を送り出した。2003年と11年の2回、脳梗塞を発症したが、ステージに復帰した。

 

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