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【言わねばならないこと】

(84)「強い国」はもうごめん ジャーナリスト・関千枝子さん

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 一九四四年、十二歳の時に父の転勤で広島に引っ越した。原爆投下の朝、高等女学校のクラスメートは、空襲の際に火災が広がらないよう事前に建物を取り壊して大通りをつくる「建物疎開」に動員されていた。爆心地から一キロの場所で、奇跡的に助かった友達一人以外は全滅だった。

 私はおなかを壊して自宅で寝ていた。休んだら非国民と言われるから「行く、行く」と言ったが、母が絶対に行くなって。父が玄関で出掛ける準備をしていた時、ピカッとすごい光。天井、欄間ががらがらと落ちてきて、台所で皿を洗っていた母と抱き合った。あの瞬間は忘れない。

 戦後、先生から新しい憲法の話を聞き、「戦争放棄」という言葉がうれしかった。クラスメートが生きていたらと、痛切に思った。文化やスポーツも復活して楽しかった。校舎もなく、仮教室だったけど、笑ってばかりだった。「男は命を惜しまず、戦争に行け」「女は、夫や子どもの命を差し出しても誉れだ」と思わされていたが、「戦争は民を不幸にするだけ」「戦争に強いのがいい国じゃない」と実感した。

 安倍晋三首相は安全保障関連法を「戦争法」と言われると、「平和を願っている」と怒るが、結局は「強い国」にしたいのだろう。もう強い国なんてごめんだ。そう思って、安保法で精神的苦痛を受けたと、八月に東京地裁に訴えた女性百六人の原告団に加わった。

 首相の「積極的平和主義」も信用ならない。昭和の初め、日本は「東洋平和のために」と中国に侵略した。中国人を一人でも多く殺せば、日本は平和でいい国になると、みんな平気で言っていた。国の政策は当てにならない。だから「平和」ではなく「不戦」と言おうと呼び掛けている。

 <せき・ちえこ> 1932年、大阪市生まれ。元毎日新聞記者、元全国婦人新聞編集長。著書に「広島第二県女二年西組−原爆で死んだ級友たち−」「ヒロシマの少年少女たち−原爆、靖国、朝鮮半島出身者」など。

 

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