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【言わねばならないこと】

<特別編>反骨の記者・桐生悠々「言いたい事と言わねばならない事と」全文

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 随時連載「言わねばならないこと」は、2013年12月の秘密保護法成立を受けて始まりました。タイトルの由来は、戦前に軍部を痛烈に批判した反骨の新聞記者、桐生悠々の文章「言いたい事と言わねばならない事と」です。連載100回を迎える前に、あらためて全文を掲載します。

     ◇

 人動(やや)もすれば、私を以て、言いたいことを言うから、結局、幸福だとする。だが、私は、この場合、言いたい事と、言わねばならない事とを区別しなければならないと思う。

 私は言いたいことを言っているのではない。徒(いたずら)に言いたいことを言って、快を貪(むさぼ)っているのではない。言わねばならないことを、国民として、特に、この非常時に際して、しかも国家の将来に対して、真正なる愛国者の一人として、同時に人類として言わねばならないことを言っているのだ。

 言いたいことを、出放題に言っていれば、愉快に相違ない。だが、言わねばならないことを言うのは、愉快ではなくて、苦痛である。何ぜなら、言いたいことを言うのは、権利の行使であるに反して、言わねばならないことを言うのは、義務の履行だからである。尤(もっと)も義務を履行したという自意識は愉快であるに相違ないが、この愉快は消極的の愉快であって、普通の愉快さではない。

 しかも、この義務の履行は、多くの場合、犠牲を伴う。少くとも、損害を招く。現に私は防空演習について言わねばならないことを言って、軍部のために、私の生活権を奪われた。私はまた、往年新愛知新聞に拠(よ)って、いうところの檜山事件(注1)に関して、言わねばならないことを言ったために、司法当局から幾度となく起訴されて、体刑をまで論告された。これは決して愉快ではなくて、苦痛だ。少くとも不快だった。

 私が防空演習について、言わねばならないことを言ったという証拠は、海軍軍人が、これを裏書している。海軍軍人は、その当時に於(おい)てすら、地方の講演会、現に長野県の或(ある)地方の講演会に於て私と同様の意見を発表している。何ぜなら、陸軍の防空演習は、海軍の飛行機を無視しているからだ。敵の飛行機をして帝都の上空に出現せしむるのは、海軍の飛行機が無力なることを示唆するものだからである。

 防空演習を非議したために、私が軍部から生活権を奪われたのは、単に、この非議ばかりが原因ではなかったろう。私は信濃毎日に於て、度々軍人を恐れざる政治家出でよと言い、また、五・一五事件及び大阪のゴーストップ事件(注2)に関しても、立憲治下の国民として言わねばならないことを言ったために、重ねがさね彼等(かれら)の怒を買ったためであろう。安全第一主義で暮らす現代人には、余計なことではあるけれども、立憲治下の国民としては、私の言ったことは、言いたいことではなくて、言わねばならないことであった。そして、これがために、私は終(つい)に、私の生活権を奪われたのであった。決して愉快なこと、幸福なことではない。

 私は二・二六事件の如(ごと)き不祥事件を見ざらんとするため、予(あらかじ)め軍部に対して、また政府当局に対して国民として言わねばならないことを言って来た。私は、これがために大損害を被った。だが、結局二・二六事件を見るに至って、今や寺内陸相によって厳格なる粛軍が保障さるるに至ったのは、不幸中の幸福であった。と同時に、この私が、はかないながらも、淡いながらも、ここに消極的の愉快を感じ得るに至ったのも、私自身の一幸福である。私は決して言いたいことを言っているのではなくて、言わねばならない事を言っていたのだ。また言っているのである。

 最後に、二・二六事件以来、国民の気分、少くとも議会の空気は、その反動として如何(いか)にも明朗になって来た。そして議員も今や安んじて―なお戒厳令下にありながら―その言わねばならないことを言い得るようになった。斎藤隆夫氏の質問演説(注3)はその言わねばならないことを言った好適例である。だが、貴族院に於(お)ける津村氏の質問に至っては言わねばならないことの範囲を越えて、言いたいことを言ったこととなっている。相沢中佐が人を殺して任地に赴任するのを怪しからぬというまでは、言わねばならないことであるけれども、下士兵卒は忠誠だが、将校は忠誠でないというに至っては、言いたいことを言ったこととなる。

 言いたい事と、言わねばならない事とは厳に区別すべきである。

 (昭和十一年六月)

(注1)檜山事件 名古屋市の女学校の校長が校内での不倫を隠すため、事実を知った女性教師らを解雇しようとした事件

(注2)ゴーストップ事件 大阪市で信号無視をした陸軍兵を警察官が注意し、けんかとなり、その後、陸軍が警察に抗議し、軍部と内務省の対立に発展した事件

(注3)斎藤隆夫氏の質問演説 いわゆる「粛軍演説」。軍部に綱紀粛正(粛軍)を求めると同時に、議会を軽視し、政治への介入を強める軍部を批判した

<桐生悠々(きりゅう・ゆうゆう)> 1873(明治6)年、金沢生まれ。明治から戦前にかけ、軍部と権力者を痛烈に批判し続けた反骨の新聞記者。東京帝国大卒。本紙を発行する中日新聞社の前身の一つである新愛知新聞や、長野県の信濃毎日新聞で主筆を務めるなど、複数の新聞社で活躍。信毎時代、社説「関東防空大演習を嗤(わら)ふ」を書き、木造家屋の多い東京上空で敵機を迎え撃つ想定の陸軍演習の無意味さを批判。軍部の怒りを買い、退社に追い込まれた。晩年は愛知県で個人誌「他山の石」を刊行。「言いたい事と言わねばならない事と」はここに掲載された。41(昭和16)年に68歳で死去。

 

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