東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 記者たちの戦後経済秘史 > 記者たちの戦後経済秘史記事一覧 > 記事

ここから本文

【記者たちの戦後経済秘史】

今も響く平和の旋律 瀬戸勝之(東海経済部)

戦時中、日本楽器製造(ヤマハ)は戦闘機用プロペラ生産の一大拠点だった=浜松市で(同社提供)

写真

 取材はまさに手探りだった。ヤマハ本社には戦闘機用プロペラを造っていた戦時中のことを記した文献があまり残っておらず、原稿の材料は乏しかった。核となる部分は工場に勤務していた元社員に頼るしかなかったが、高齢化も進んでおり、どれだけ証言を集められるのか不安があった。

 全体の輪郭が描けたのは旋盤工だった山下宮二さん=取材時は八十九歳=の話を聞いてからだ。戦時中はまだ十代。悲惨な体験ながら穏やかな語り口で臨場感があった。繰り返し質問をぶつけるうち、閉塞(へいそく)感に満ちた工場内の光景がくっきりと浮かび上がってきた。

 憲兵の厳しい監視下で移動の自由すら制限され、戦況の悪化や徴兵で人手不足も次第に深刻化した。戦時中は多くの企業が運命を狂わされた。そして、そこで働く若者たちは平穏な日常を奪われ、過酷な労働で心身ともに疲弊していった。

 度重なる空襲や艦砲射撃で浜松市は市街地の大半が焼け野原になったが、ヤマハ本社工場の一部は戦災を逃れた。その一つ、4号館の屋上にはクラシックの名曲を奏でて時刻を知らせる「ミュージック・サイレン」がある。「単調なサイレン音では空襲警報を連想させる」との理由から、戦後間もない昭和二十年代に開発された製品だ。

 戦時中は英米音楽の鑑賞が禁止され、ヤマハも楽器生産を休止した。復興が進む街中に響き渡るメロディーは「平和の象徴」だったはずだ。しかし今、その歴史を知る人は多くない。稼働中のミュージック・サイレンは二代目だが既に製造部門はなく、故障すれば修理は困難という。

 戦争体験者は次第に減り、平和の尊さを伝える「遺産」もやがて姿を消す。後世に戦争の記憶を継承していく営みは、より重みを増していくと感じた。

◆浜松市内に響くミュージックサイレンの音

http://www.chunichi.co.jp/ee/feature/k_hishi/movie.html

 

この記事を印刷する

PR情報