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【記者たちの戦後経済秘史】

対立を描く難しさ 矢野修平(東海経済部)

スズキの前身、鈴木式織機の本社に詰め掛け、会社役員に解雇反対を訴える従業員とその家族たち=1950年4月

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 自動車メーカー、スズキの前身となる鈴木式織機で一九五〇(昭和二十五)年に起きた、激しい労働争議を書いた。労使の対立から協調へと移り変わる転機の時代を取材する中で、「勝てば官軍」という言葉の重みをかみしめた。

 労働争議では、既存組合の強硬な労使対立路線を嫌った社員の一部が、現在の組合につながる労使協調路線の第二組合を結成した。既存組合員のほとんどが第二組合へ移ることで、事態は収まった。

 取材は、順調に進んだように思えた。六〇年に発刊されたスズキの『四十年史』や七六年にまとめられた現組合の『二十五年史』など、争議を詳しく記載した文献を入手した。第二組合の設立に携わったOBの声も聞くことができた。こうして集めた材料を整理し、争議の経緯を書いた。

 「一方的な内容になっている」。記事を読んだデスクから、こう指摘を受けた。確かに、現在残る文献は、すべて第二組合側の視点で書かれたものだった。まさに「勝てば官軍」だ。争議の中で解雇された人や、そんな仲間のために経営陣と戦った第一組合側の声は、記事から抜けていた。

 OBへの取材を再開し、なんとか、生き残る第一組合の元組合員を探し出した。しかし、かなり強く匿名を求められ、身元が分かるような、深い言葉を記事に残すことはできなかった。せめて記事の偏りを直そうと、明治大の遠藤公嗣教授から、戦後労働争議史の流れを踏まえた教訓を引き出してもらった。

 時代の転機では、生き残ったものの裏に、失われたたものが必ずある。変化した後の時代に生きる私たちの視点からは、「賊軍」のレッテルを貼られて消えた敗者を、見落とすことがある。対立の歴史を描く難しさを痛感した取材だった。

 

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