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【記者たちの戦後経済秘史】

経験者たちの重い言葉 上田融(北陸経済部)

戦後の混乱を切り抜け本格的に始まった、もなかの皮作り=1955年ごろ、加賀種食品工業提供

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約二十年前、当時の勤務地で戦後五十年企画の取材をした。本土防衛に備えるため指揮を執った元陸軍幹部らからリアルな話を聞くことができた。取材対象の多くはまだ七十代で元気だった。

当然だが、今回は明らかに状況が違った。金沢市の菓子業者が戦後のモノ不足の中で材料調達に苦労した話を拾う必要があったが、取材を申し込むと「社史になら書いてある」とか「亡くなった先代から聞かされた話ならできる」などの答えが大半。二十年という月日の流れの重さを思い知らされた。

取材に応じてくれた最中の皮を作る加賀種食品の会長は取材時八十九歳。たまたま別件で同社を取材していて紹介してもらえた。

もなかの皮の材料になるコメは金沢市から石川県能登地方、富山県の農家まで自転車で走り、闇取引で手に入れた。経済警察の取り締まりは厳しく、警官が街頭にいない時間を調べて夜中に運び込んだり、見つかった時には、一席設けるなどの「接待」でたくましく切り抜けたという。

一個一円の材料費で作ったおはぎは、インフレのため、次に材料を手に入れる時は三、四円になっていた。「それでも商売人は材料費を上乗せすればいいので、ある意味楽だった。官公庁の人などモノの流通に携わらない人たちは厳しかったろう」と振り返る。

経験者の言葉は、教科書の講義などでは決して得ることができない重さ、生々しさ、ライブ感に満ちていた。できるなら彼らの経験を真空パックで保存し後世に伝えたい、と痛切に思った。今が経験を聞き取りできる本当に最後のチャンスなのだろう。つたない表現ではあるが、その一端が文書化され、本として記録されるならありがたい。

 

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