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【記者たちの戦後経済秘史】

ごみと戦う経済成長 曽布川剛(北陸経済部)

70年代、奈良市の銭湯で温水ボイラー付きの廃タイヤ焼却炉を動かす村田機工(現アクトリー)の社員たち=同社提供

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終戦からの経済復興期の取材で、具体的な証言を得るのに時間を費やした。建設機械大手コマツ(東京)の発祥の地、石川県小松市で証言者を探すのに、現在でも市内にある工場のOB会に協力を仰いだ。取材候補として十人ほどのリストをもらったが、実体験として当時を語れると思われる九十代以上は二〜三人のみ。一年ほど前に別の記者が取材していた一人に連絡すると体調を崩し入院中だった。回復を待つ間に別の一人に取材したが、終戦直後はまだ入社したばかり、記憶も定かでなくエピソードを引き出すのは難しかった。結局、退院直後ながら無理を言って最初の一人に話を聞いた。ふさわしい証言を得るためとはいえ、取材日が記事掲載日の前々日という綱渡りになってしまった。

石川県白山市の焼却炉メーカー・アクトリーの水越裕治社長は、成長一辺倒で環境という言葉すら一般的でなかった一九七〇年代初頭から煙の出ない焼却装置を売り歩いた。「ごみの量は文明の高さの指標。経済とも比例する。戦後日本の復興、経済成長はごみとの戦いでもある」。高度経済成長期のごみ排出量の推移をみると一目瞭然なのだが、社長の言葉にあらためて気付かされた。私たちは大量に消費すると同時に大量に捨てることを繰り返す社会に生きている。

ごみを出さないようにするにはどうすればいいか。大量に消費し生産することを止めれば簡単だが、成熟した先進国では難しい。ならば消費し生産する段階からごみを極力少なくするか、あるいは廃棄物を資源として再利用して循環させるような仕組みを取り入れるしか進む道はないのではないか。時代を先取った水越社長の考え方は、これからのどんな経済活動にも通じるはずだ。

 

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