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【記者たちの戦後経済秘史】

鎧兜を脱ぎ捨てて 石井宏樹(名古屋経済部)

西川秋次

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「上海に進出するのは日中親善のためだ。いかにして親善の実を挙げるか。まず実業家が奮発することだ」。トヨタ自動車グループの始祖、豊田佐吉は戦前に高い理想を掲げて上海に移り住んだ。佐吉を支え、戦後に中国に残って復興に尽くしたのが、上海の紡織会社「豊田紡織廠」を切り盛りした西川秋次だった。

テーマ探しには苦労した。当時は自動車産業の担当に代わったばかりで、地元のトヨタの「今」を勉強するので手いっぱい。さらにトヨタの歴史は、直前まで続いた連載企画で本一冊を出すほどに取材し尽くされていた。

日常の取材の合間にトヨタグループの社史などの資料を読み込む中、西川が戦後、紡織事業の技術指導者として中国に残留することを、自ら希望する建白書を国民政府に送ったと知る。敗戦後に戦争相手だった国に残る決断を下したことへの驚きが取材のきっかけとなった。

西川の孫の山本幸江さんから戦中に上海の工場を訪れた話を聞くことができた。佐吉が発明したG型織機が活躍する当時の工場の記憶は生き生きとしていた。頻繁に工場を訪れ、整理整頓を口うるさく指導した西川の姿勢は、今のトヨタの現場主義につながる。

戦後、国共内戦が激しくなる中、西川は日本に帰国した。世界規模の紡織産業を興す佐吉と西川の理想は、戦争と政治に翻弄され続けた。当時の西川の思いを探りたかったが、資料はなく、後年、山本さんに「中国に技術を引き継げて良かった」とぽつりとこぼしただけだった。

「鎧兜を脱ぎ捨てた平民同士が理解し合い、互いに連携していく国民外交がなければだめだ」と説いた佐吉とそれを実践した西川。日中関係がぎくしゃくする今こそ、戦前の経済人の理想を思い起こすべきタイミングだろう。

 

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