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【記者たちの戦後経済秘史】

世界見据えた先見性 西山輝一(東海経済部)

ツナ缶の原料となるマグロの水揚げ風景=1970年ごろ、清水港で(静岡缶詰協会提供)

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米国でツナ缶というものが人気らしい。これは将来、「世界的商品」として広がるだろう―。戦前の一九二九(昭和四)年に、そう考えた青年がいた。三十一歳だった静岡県水産試験場(現県水産技術研究所)の村上芳雄技師(故人)は国内でいち早くツナ缶の試作に乗りだした。日本でツナ缶の製造技術の礎を築いた人物だ。

当時のツナ缶の主原料はビンナガマグロ。静岡でも水揚げが盛んだが、身が柔らかく安価な魚だった。米国ではこれを加工したツナが「鶏肉」に似た食材だとして、一九〇〇年ごろから生産が始まっていた。

芳雄技師はどんな思いで試作に乗り出したのか。同研究所の資料室で文献を探すと、本人が執筆した事業報告書が見つかった。当初から輸出を目指して製造コストを分析し、「米国で売れるツナ缶」を追究した熱意が文面からうかがえた。冒頭のような「鮪油漬缶詰ハ 将来世界的商品タリ得ベキ」との文言もあった。

本編でふれたようにツナ缶の対米輸出は戦後に最盛期を迎えたが、七〇年代から進んだ円高はメーカーに変革を迫った。その中で、先がけて国内市場を開拓した後藤缶詰(現はごろもフーズ)の社長・二代後藤磯吉氏(故人)の先見性は際立っていた。商売上の算段に加え、「自社ブランドの良い製品を作り、日本人に食べてほしいという志があった」との同社OBの証言も付け加えておきたい。

世界では現在、タイの最大手を筆頭にアジアや欧米の各社がツナ缶を作り、需要は伸びている。日本で作られるツナ缶はほぼすべて国内向けだが、原料のキハダやカツオの相場は国際的な需給関係で決まる。世界経済の変遷に応じ、経営のかじ取りが求められる状況は昔も今も変わりはない。

 

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