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【記者たちの戦後経済秘史】

戦後に生きた海軍ネット 坂田奈央(名古屋経済部)

短現で学んだ若者たちが受けた訓練=大津留温さん提供

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戦争やバブル崩壊。その渦中にいた人々が本心や反省を吐露した時、胸が震えた。後世に伝えるべき事なのだと実感した。

海軍主計科の二年現役補修学生制度「短現(たんげん)」の出身者たちが戦後も強い人脈でつながり、高度経済成長時代を支えた―。こんな説を裏付ける取材で、たどりついた当事者の一人が元住宅金融公庫総裁の大津留温氏(短現十期)だった。

短現出身者は九十歳を超え、多くは連絡先が不明だったり、他界していたり。自著で短現の人脈が政治上で生きたと明かした中曽根康弘元首相の取材もかなわず、大津留氏は貴重な証言者の一人となった。

「まあ正しいでしょうね」。東京都内の病院で家族の付き添いで取材に応じた大津留氏はゆっくりうなずきながら説を肯定した。大企業幹部や国会議員、知事―。短現出身者のリストを見ながら「ここに名を連ねてるやつは電話で『おい』と話ができた」と語った。

敗戦の話題になった時。「短現時代(一九四三年ごろ)、負けるのではないかという暗黙の了解はあったか」という問いに「あった。あったけど口には出せなかった」と明言した。

海軍の頭脳集団は負け戦を悟りながらも静観せざるを得なかった。その特異な経験を共有した彼らが戦後に絆を強くしたのは当然かもしれないと思った。

バブル経済崩壊の取材では、バブル最盛期の八八年に日本銀行理事だった鈴木淑夫氏の証言が重かった。対策を練るはずの日銀の会議が危機を感じながらも沈黙に支配され、形骸化していたことを明かした。

「このままでいくとえらいことだと思っていた。それを理路整然と説得する力がなかった」。ためらわず、むしろ堂々と反省の言葉を口にした鈴木氏の姿が強く印象に残っている。

 

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