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【記者たちの戦後経済秘史】

歴史の転換点に資源あり 福田要(名古屋経済部)

モルッカ諸島セラム島で、米軍攻撃機の爆撃を受けて炎上する日本軍の石油タンク。南方資源の確保に失敗した日本は追い込まれていった=1944年10月、米陸軍航空隊撮影(共同)

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「経済を切り口に、日本の戦中と戦後を振り返ろう」。本書の基になった新聞連載の取材は戦後七十年に合わせ、そんな目的で出発した。探したのは生の証言と未発掘の資料。政策決定に立ち合ったキーマンや生産や暮らしの現場にいた人たちの肉声を、当時の記録と重ねると、あまり知られてこなかった戦後日本の姿が浮かび上がった。

その歩みは、想像した以上に「戦争と資源」に強く影響され続けていた。

戦時下、日本政府は統制で民間の経済活動を厳しく制限した。一方で巨額の戦費を捻出する目的で国債を発行し、国民の富を吸い上げる。しかし、連合国の経済封鎖で石油など資源調達が断たれたことが敗戦を決定的にした。国民の多くの生命と財産が失われた。

対米戦争に踏み切るべきか―。資源や工業力などの経済データに基づいた複数の調査は「戦況不利」を予測したが、いったん動きだした開戦への流れを止めることはできなかった。

戦後の復興にも、戦争が関わっていた。国内の有力メーカーは朝鮮戦争の特需で戦災で落ち込んだ業績を大きく好転させていた。しかし、戦後の人口増加も影響した高度成長の後には石油ショックが待っていた。資源の問題が再び、日本の行く手に立ちはだかる。

石油に依存しないエネルギー政策への転機となったが、その主流は太陽光発電ではなく、誘致する地域に国から金が回る仕組みが整えられた原発の方だった。この選択の是非が、二〇一一年に起きた福島第一原発の事故で問われている。

経済を軸に、どこまでを扱うのか。取材班は何度も議論を重ねたが、当事者の貴重な証言や資料がある限り、取材対象は積極的に広げた。今は断片的な情報に見えても、将来の検証に役立つかもしれない。

 

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