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【記者たちの戦後経済秘史】

激しかった労組弾圧 大森準(東京経済部)

戦前戦後の労働組合活動を振り返る杉浦正男氏=千葉県船橋市で

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戦前・戦後の労働運動を知る人がなかなか見つからなかったことに苦労した。連合や全労連など既存労組だけでなく、労組OBや労働問題の取材経験が豊富な新聞記者OBなどにも接触したが、数年前に亡くなっていたり、老衰で面会できなかったり。国会図書館や大学の資料室にも足を運んだが、通り一遍の資料しか残っておらず、関係者の肉声が拾える資料はわずかだった。ようやく見つけた証言者も記憶が薄れ、事実関係とつじつまが合うのか確認作業にも手間取った。

最後の産別会議事務局長だった杉浦正男さんは、全労連から「当時を語れるのはこの人しかいない」と紹介を受けたが、高齢で耳が遠く、電話での会話が不可能だった。飛び込み訪問も考えたが、取材意図を理解してもらった方が良いと、知人を探して仲介を頼んだ。東宝争議の参加者、河崎保さんは民間の演劇団体が実施していた歴史の聞き取りで争議のことを語っているのをネットで見つけ、団体から紹介を受けてようやく連絡がついた。

驚いたのは、戦前の労組への弾圧の激しさだ。戦前、杉浦さんが参加していた印刷工でつくる「出版工クラブ」メンバーは、仕事後に勉強会に集まる際、持参する労働運動関係の本が特高警察に見つからないよう緊張感を持っていたという。杉浦さんも夕食時に突然、警察に連行され、拷問を受けた。人権に対する考え方は現在とは程遠いと感じた。

戦後、ノウハウもない中で労組が続々と登場した。終戦から半年近くが経過した一九四六年二月、杉浦さんが東京・市ケ谷にある印刷会社に労組結成を働き掛けに行ったときのエピソードを話してくれた。

その時、同行した大日本印刷労組委員長の鈴木登氏は「ここに労働組合を作りたいと思うんだが、だれか優秀な人はいませんかね」と守衛に対して唐突に用件を切り出し、その足で紹介された社員を職場に訪ね、「いまどき労働組合がないところはありませんよ。私も手伝うからすぐに作りなさい」と熱弁を振るった。戦後の混乱期で物価の上昇に賃金が追いつかず「自然発生的にできちゃった」(杉浦さん)というが、労使協調型の現在とはかけ離れた感覚だ。

現在は労働形態が多様化し、労働者に占める労働組合員の割合(組織率)は過去最低を記録。労組の存在意義や労働運動のあり方が問われている。杉浦さんも生産の海外移転などを挙げて「昔のようにまともにぶつかり合う中で真の敵を見極めて戦うよりも、今の労組活動は困難。中小零細企業の中で賃金闘争をしても、うっかりやったらつぶれてしまう」と難しさを指摘していた。非正社員の比率増加や安倍政権が意欲を見せるホワイトエグゼンプションなどの労働規制緩和など働き手にとって課題が山積する中、解決のために労働運動はどうあるべきなのか、答えを見出せずにいる。

 

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