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【記者たちの戦後経済秘史】

即席ラーメン春秋時代 白山泉(東京経済部)

販売当時、東明商行の工場に掲げられていた長寿麺の看板=大阪市阿倍野区で

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「即席ラーメン 東明 長寿麺 ヒマラヤ遠征隊 南極越冬隊御採用」。池尾伸一デスクが見つけた雑誌「アサヒグラフ」の一九五九年十一月臨時号に掲載されていた一枚の広告が始まりだった。

日清食品創業者の安藤百福が世界で初めて即席麺を開発したという「正史」は真実なのか。長寿麺という「元祖」の存在を確かめるため、南極かヒマラヤで「長寿麺を食べた」という人物を探し始めた。一九五六年から一九六〇年に南極観測隊やヒマラヤ遠征隊に参加したOBを片っ端から探した。既に亡くなっている方も多く、半世紀以上前の記憶が残っている人を探すのに苦労したが、南極観測隊の調理者と、明治大のアラスカ調査団参加者から証言を得ることができた。「チキンラーメンも知らない時代、初めて食べた即席ラーメンだった」と。

長寿麺を販売していたのは「東明商行」という会社だ。アサヒグラフの広告には「大阪・アベノ近鉄前」と所在地が書かれている。今も残っていないか。登記簿などを手掛かりに周辺を探すと、あべのハルカスの麓にたたずむマンションの一室で会社は存続していた。

長寿麺の開発者、台湾出身の張国文氏の次男の清川信治さんが取材に応じてくれた。「世間では日清さんが作ったという常識になっている」。初めは素っ気なかった清川さんだが「父は登山が好きで、山で食べられるラーメンを作りたかったみたいだ」と教えてくれた。

おもむろに押し入れを探し、出してくれたのは、張国文が安藤百福に即席ラーメン製造の特許を譲渡した時の契約書と、ラーメン製造をしていたときの看板。「父が作ったという名誉だけは回復したかった」と保管していたという。

契約書からはチキンラーメン登場の裏側に、「ラーメン春秋時代」とも言える熾烈な開発競争、特許争いがあったことが浮かび上がる。

企業が作り上げる物語や神話は、時として歴史の事実を覆い隠してしまうことがある。企業が「企業価値」の創出を競う現代社会において、この先も歴史の事実が埋もれていく懸念が高まっていくのではないかと思わされる取材だった。

 

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