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【記者たちの戦後経済秘史】

小作農を助けた大地主 網信明(北陸経済部)

東京近郊の七生村(現日野市)で1951年、農地改革の成果を視察するGHQ最高司令官のリッジウェイ(中央)。マッカーサーの後任者として本国に「改革は順調」と報告した=同市の農業小林和男さん提供

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終戦間もなく占領軍が主導した農地改革の取材で、石川県能登地方の大地主周辺をあたることになった。ところが、七十年も前のこと。生き証人を求めるのは絶望的。ならば、その子どもたちに当たろうとしたが、思いのほか難航した。

改革で恩恵を被った元小作農サイドならば人選は容易と思ったが、大間違い。彼の地は封建的な雰囲気を引きずり、元大地主を今なお近寄りがたい存在ととらえる人が年配者に多い。積極的に証言してくれる人には巡り合えなかった。

結局、元大地主の現当主を直撃。割を食った側が証言してくれるか心配したが、あっさりと承諾を得た。そこで、当時の当主が、自作農化されて戸惑う小作農を営農指導して助けた意外な話を耳にし、当地での地主と小作農の良好な関係が垣間見えた。戦後の混乱期には幾多の人間ドラマが繰り広げていたのだろう。印象深い取材になった。

時代の荒波を乗り切った人の話には迫力がある。そう実感したのは総合繊維業・セーレンの川田達男会長への取材だった。

入社は日本の繊維業が全盛の一九六〇年代。原糸メーカーの下請けとして、地元トップ級の業容を誇った。大学で経営を学んだ彼は「自社で企画開発しないのは企業じゃない」と危機感を抱く。上層部に直訴すると、幹部候補では異例の工場勤務を命じられた。営業担当に異動後は、自動車内装材の企画販売事業に乗り出し、倒産直前だった会社の救世主に。総合繊維業への飛躍へとつながった。

取材の終盤で「いかにして成功できたか」と問うた。「論理的に説明できる部分は二割。残りは運とか出会いとか度胸とか訳のわからない部分です」との答え。逆境でもチャンスを待ち、ここ一番で勝負を挑む。名経営者ならではの攻めの姿勢に心を揺さぶられた。

 

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