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【記者たちの戦後経済秘史】

今度こそ本気で新産業を 元大蔵省財務官 行天豊雄氏(85)

元大蔵省財務官 行天豊雄氏

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 戦後経済の最初の転機は一九七一(昭和四十六)年のニクソン・ショックでした。財務官室長だった私はラジオの英語放送を必死で聞きました。ニクソン大統領が演説で金とドルの交換停止を言うと市場でドル売りパニックに。一ドル=三六〇円の固定相場が崩れて円高になり、輸出頼みの成長は難しくなりました。

 八〇年代になると米国はベトナム戦争の後遺症、産業競争力低下で経常赤字が拡大。ベーカー財務長官はドル安による赤字解消を狙い、プラザ合意が実現します。しかし、誤算がありました。合意が劇薬的に効き過ぎドル安が止まらない。円は二年で倍に値上がりし経済に大打撃でした。対策として日銀の金融緩和に頼り過ぎたのは間違いでした。財務官だった私は事務次官の吉野良彦氏とバブルをよく心配していましたが、バブルと反動があそこまで深刻になると思わず、認識が欠けていたと反省します。

 この時点で政府は新産業を起こすような構造改革をすべきでした。振り返ると日本は円安になると一息つくが、世界経済が後退するとそれ以上に経済が悪化する繰り返しです。リーマン・ショックは典型。政府は今度こそ本気で農業、医療などサービス分野で新産業を起こすべきでしょう。少子高齢化の中、競争力を低下させないために女性の活躍に加え、移民受け入れもタブー視すべきではない。

 国内改革に加え、重要な点は歴史的興隆期に入ったアジアに積極的に関わることです。それには隣国である中国、韓国との関係改善が必要です。首脳同士の会談がなかなか実現しないような関係はおかしい。さまざまなレベルで率直に話し合うことが必要です。

 こうした状況に陥ったのは日本が第二次世界大戦の歴史の総括を怠ってきたことが大きい。日中韓は二千年に及ぶ交流をし、日本は多くのものを得てきました。しかし、日本が近代化し、日清戦争に勝ったころから隣国の人々をさげすむようになってしまった。

 私は日中戦争のきっかけになった満州事変の年に生まれ、戦争の悲惨さを体験してきました。だからこそ、中国、韓国と仲良くしない限り世界における日本経済の安定した将来もない、と強く言いたいのです。

 <ぎょうてん・とよお> 横浜市出身。東京大経済学部を卒業し、1955年に大蔵省(現財務省)。85年、プラザ合意時に国際金融局長、87年のルーブル合意時には財務官を務め、急激な円高局面での通貨外交を担った。89年の退官後、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)会長を経て95年国際通貨研究所設立とともに理事長就任。

 

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