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【記者たちの戦後経済秘史】

売れるストーリーを タカラ創業者 佐藤安太氏(92)

タカラ創業者 佐藤安太氏

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 「だっこちゃん」という名前は、誰がつけたか分からないんです。歌で言えば「詠み人知らず」。本当の名前は「木のぼりウィンキー」だった。一九六〇(昭和三十五)年、東京・葛飾で宝ビニール工業所というビニール雑貨の小さな会社を営んでいた。

 経営指導で戦略という言葉を知り、戦時中に習った陸軍幹部養成の教科書を読み返してみると「勝つには敵の弱点にわが方の戦力を集中して攻撃し、突破口を開く」とある。成功には競合他社が不得意な新製品の開発が必要と気付き、力を商品開発に集中しようとアルバイトでデザイン学校の学生数人を雇った。

 モデルは、小学生の時に愛読していた戦前の漫画「冒険ダン吉」。南の国に渡ったダン吉のために、ヤシの実を採ってくれる部下がウィンキーでした。まるで牛若丸と弁慶。当初はダン吉の人形をメーンで売り出すつもりだったんです。

 銀座の百貨店一階に置いてもらったら、ウィンキーを見た女性店員が「わー、かわいい」と腕に着け、そのまま食事に出掛けた。これが、だっこちゃんに変わった瞬間でした。それを見た周りの人がだっこちゃんを求めて走りだした。

 腕に着けるなんて全く想像してなかった。そもそもブームになったことが自分でも信じられない。人気があったのは一年くらいでした。デザインが黒人差別だという批判が出たのは、だいぶ後のことです。

 理由が理解できないままだっこちゃん人気が去り、「あれ、自分は『売れる仕組み』が全然分かってない」と気付いた。きちんとしたストーリーを作り、効果的な宣伝と良い品質が伴えば、米国のバービー人形みたいに売り続けることができるはずだと。マーケティングですね。そこから試行錯誤。だっこちゃん発売から「リカちゃん」発売まで七年かけた。あまり勉強できないけどスポーツ好きで明るくて−。近所の子どもたちにも感想を聞いた。

 当時、日本では、玩具の流行は一年とされていた。「二年目は別の人形をやらなきゃ」と主張する問屋に「今年もリカちゃん」と言い続けた。翌年から家族や友達を出し、狙い通り流行は続きました。

 同じおもちゃでも、ゲームと人形は違う。スリルに夢中になるゲームを無制限にやれば害になる。一方、人形遊びは「これでどう遊ぼうか」と、子どもが生まれて初めて考える「自分の世界」。文化の一翼を担っていると考えています。

 <さとう・やすた> 福島県出身。1945年、米沢工業専門学校化学工業科(現山形大工学部)卒。55年にタカラの前身、佐藤ビニール工業所(後に改称)を設立。60年夏、ビニール人形「だっこちゃん」が大ヒットし、1年で240万個を販売した。67年にタカラに社名変更。2000年に会長兼社長を退任。タカラは06年、トミーと合併し「タカラトミー」に

 

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