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【とちぎ こころの健康便】

「しつけ」への心構えは

 北海道の山中で、小学二年生の男児が「しつけ」のため、親に置き去りにされるという出来事がありました。しつけへの考え方は家庭によって異なり、善しあしを評価するのは難しいことです。親の立場としては「子どもが社会に出て恥ずかしくないように」「他人に迷惑をかけないように」との思いから、つい行き過ぎてしまう面もあるかもしれません。親の思いをうまく理解させるには、子どもにどう伝えるのが良いのでしょうか。また、しつけを受ける側の心の影響をどう考えるべきでしょうか。水島先生に聞きました。

 虐待で逮捕された親がよく「しつけのつもりだった」と言うのを聞きます。本当に虐待は、しつけの「行き過ぎ」なのでしょうか。

 実は、しつけと虐待は、全く異なるものです。しつけとは、親が知っている生活上の知恵を子どもに受け継ぐもの。主役はあくまでも子どもです。

 子どもの中に善悪の物差しがつくれるように。子どもの中に社会性の物差しがつくれるように。それが、しつけが目指していくポイントです。

 しつけは決して人権侵害的な形で行われる必要はありません。なぜかというと、親が伝えたい「生活上の知恵」なのですから、ちゃんと理由があるのです。あいさつをするのは、「私はあなたと敵対するつもりはありませんよ」という意思表示であり、子どもの社会性を育て、安全を守ることにつながるのです。

 ですから、しつけは、「子どもが何をしたか」を基準に行われます。親の機嫌によるわけではないのです。

 一方、虐待の主役は専ら「親」です。親の機嫌が悪いと、以前は許されていたことも許されなくなったりするのです。これでは、子どもの中に物差しをつくるという作業ができなくなり、子どもは常に人の顔色をうかがうような存在になってしまうでしょう。

 もちろん今回のように、命につながる危険性もあります。

 しつけの際、親は、上から指示するのではなく、「自分が今まで生きてきて思うことは」とか「あなたがとても大切だから思うのだけど、それはあなたにとってどうかしら」などと、心のやりとりを心がけた方が良いと思います。子どもが従わない場合は、年齢を考えて、諦めるか、「じゃあどうしたら良いと思う?」などと子ども自身の考えを聞き出すのが教育的でしょう。 (精神科医・水島広子)

 

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