東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 特集・連載 > 1964年からの手紙 > 記事一覧 > 記事

ここから本文

【1964年からの手紙】

体操女子代表・小野清子さん 「母」と「選手」両立の先駆け

当時の子育てと競技の両立を語る小野清子さん=東京都港区の笹川スポーツ財団で

写真

 1964年東京五輪のオリンピアンが次の世代に思いをつなぐ「1964年からの手紙」。第2回は体操女子の小野清子さん(81)。出産を経て競技復帰したアスリートの先駆けとして、当時の子育てと競技の両立の苦労、同じ境遇にいる今の選手への思いを語る。 (森合正範)

 <1961年6月に長女を出産し、競技から離れるはずだった。しかし、故郷・秋田で開催される国体への出場を頼まれた。笑顔と明るい声で当時を振り返る>

 最初は断ったんです。「平均台だけでも出てよ」と言われたら「できるかな」と思っちゃった。でもね、出産2カ月で練習再開したら、体は重いし、腹筋も腕力も落ちているし、腰はガクガクして走れない。逆立ちの練習も大変よ。結局断り切れなくて、全種目やりました。

 <62年の世界選手権を最後に現役引退を決め、63年8月に長男を出産。育児に専念するつもりだった>

 今度はね「東京五輪の団体でメダルを狙うために出てくれないか」とお話が来ました。悩んでいると「やるだけやって、もしできなかったらいい」と言われたのよ。

 当時、子どもを預けられる施設は少なかった。下の子は母にお願いしたけど、3歳の上の子は泣きながら練習場についてきちゃう。平均台のそばに来て「ママ」と言われて落ちそうになったり。仕方がないので跳び箱の一番上の部分を逆さにして、その中に入れていました。まるで揺りかごよ。いつもむきかけの甘栗や紙のついたキャラメルを渡してね。子どもは一生懸命むかないといけない。知恵を絞って練習をしていました。

 ある日、視察に来た国会議員から「何かほしいものはある?」と聞かれたので「子どもを見てくれる人がほしい」と言いましたよ。議員さんは困っていましたけどね。

 かわいい子どもを泣かせてまで逆立ちしているんだと思うと、自己コントロールが違ってくる。練習中は驚くくらい集中していました。

東京五輪の体操女子、小野清子さんの平均台の演技=1964(昭和39)年10月21日、東京体育館で

写真

 <試行錯誤を重ねて「母」と「選手」を両立し、東京五輪では団体で悲願の銅メダルを獲得。個人総合では世界大会(世界選手権と五輪)で自己最高となる9位だった>

 本番の床運動は日本らしく「さくら変奏曲」。東京五輪が今までで一番の演技です。メダルの瞬間は、喜びよりもホッとした気持ち。子どもを泣かせた分、これからはかわいがっていこうと心に誓いました。でもね、当時は団体といってもメダルが一つしかないのよ。バレーボールはみんなの分があるのにねえ…。

 <64年の東京五輪で出産を経験した選手は他に同じ体操の池田敬子さんらが出場。50年以上たったリオデジャネイロ五輪でも、5人と多くはない>

 子育てと競技の両立はきついですよ。今の選手に「やったらいい」なんて、簡単には言えません。でもね、続けたい気持ちがあるなら、まずはやってみること。負けても悔しいとか、駄目になったとか思わないことが大切です。

 私は失敗した自分の姿を見て笑っていました。負けて当然くらいの気持ち。体と相談しながら、焦らず、戻していけばいい。でもね、私はママになってからの方が成績が伸びているんです。それが誇れることかしら。

 コツコツ練習してきたことは体に染みついているし、「子どもを泣かせている」と思ったら、より集中して頑張れる。練習できない期間は、それまであまり見たことがなかった他の選手の演技を観察したら、いい勉強になりました。

 「頑張ろう」は良い言葉だけど、それだけでは息が苦しくなる。ママさんらしく、明るく、楽しみながらやりましょうよ。 (この企画は随時掲載します)

◆託児室など進むサポート

 小野さんが現役を退いてから50年以上がたち、出産後も競技を継続できる環境づくりやサポート態勢は変わってきている。国立スポーツ科学センター医師の土肥美智子さんは出産後のアスリートについて「競技を続けられる選択肢を増やしてあげたい。環境を整え、さまざまな情報を発信することが大切」と話す。

 日本スポーツ振興センターは2013年6月に日本代表選手らの練習拠点となっている味の素ナショナルトレーニングセンターに託児室を設置した。

 また、日本サッカー協会や日本ラグビー協会は子どもを代表合宿に同行させる際の託児費用や宿泊費を支援する育児サポートを実施している。

<おの・きよこ> 1936年2月4日生まれの81歳。秋田市出身。五輪には60年ローマ、64年東京と2大会連続で出場。ローマ大会は団体4位、個人総合15位。引退後は参議院議員を務め、現在は笹川スポーツ財団の理事長。夫は日本人最多の13個の五輪メダルを獲得した体操の小野喬。

写真
 

この記事を印刷する

PR情報