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【1964年からの手紙】

馬術代表・法華津寛 「馬に乗る楽しさ変わらない」

大切に保管してあった1964年東京五輪の赤いブレザーを着て、愛用したむちを手にする法華津=東京都内の自宅で

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 1964年東京五輪のオリンピアンが思いをつなぐ「1964年からの手紙」。第3回は馬術代表の法華津寛(76)。前回の東京五輪から53年、今なお世界の第一線で活躍する唯一の現役選手が、競技の取り組みと継続の秘訣(ひけつ)を語る。 (森合正範)

 <23歳だった1964年。馬術・障害飛越の会場となる国立競技場は多くの観客でにぎわっていた>

 馬に乗って入場した時、これはすごいなと驚いた。馬術はマイナー競技で関係者以外は見に来ない。そういう時代ですよ。だから国立の大観衆が一番印象に残っている。

 あとはね、馬術は欧州が主流。当時、欧州に行ったことはないし、DVDなどの映像もない。馬事公苑(東京都世田谷区)が五輪練習場で、欧州の選手がトレーニングしているのを一日中見ていました。それが楽しくてね。別世界を見ているようでした。

 <馬を語る時、少年のように目がキラキラと輝く。人馬一体という言葉がある。しかし、考え方は「馬人一体」。人よりも馬が優先される>

 馬とトレーニングしてレベルが上がれば、「この馬はどれくらいやれるのかな」と競技に出す。自分が勝ちたいというより、馬がどこまで伸びるか。それがモチベーションですよ。陸上選手でも練習を積んで、成果を見たいから競技に出る。それと同じ。

東京五輪の馬術・障害飛越に臨む法華津寛=1964年10月24日、国立競技場で

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 僕は馬にこの動きをいつまでに覚えさせようなんて考えない。馬ができるようになったら次、それができたらまた次。大会から逆算して計画を組んだら焦るでしょう。

 人間みたいに激しい練習をさせられない。疲れたら嫌がってやらなくなる。それが自然。僕は馬が好きで、一緒にトレーニングするのが楽しいだけ。その気持ちは昔と今で全く変わらないですよ。

 <67歳で北京五輪、71歳でロンドン五輪に出場。衰える体と心と戦い続けている>

 僕の考えでは体力と気力は連動している。ここ1、2年かな、体力が衰えたなと感じて、競技に行く気持ちがなえる。さて、どうするか。朝1時間くらいトレーニングして、衰えた部分をカバーする。腹筋や背筋の回数が増えると「まだできる」と思えてくる。体を鍛えることによって、気力まで充実するんです。

 それにね、若いころはうまくいかないと「馬が悪い」となっていた。でもね、心の進化か体の退化か分からないけど、年をとったから人間のバランスが悪くて馬に迷惑をかけているんじゃないかと思うようになってきた。じゃあ、自分の体のゆがみやバランスを直そうとなるんです。

 <再び東京に五輪がやってくる。若き日の法華津が目指したように、一人でも多くの選手が挑むことを願う>

 五輪はね、人生にとって何かしらの価値を残してくれますよ。僕も五輪に出たことは大きな財産。「競技を続ける糧か?」と聞かれれば、それだけではないんだけどね。でも、東京五輪に出ていなければ、ここまで続けていたか分からない。大切なのは競技が好きということかな。

日本代表のジャージーを着て、馬と触れ合う法華津=1964年、東京都世田谷区の馬事公苑で

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 <76歳になった今なお第一線で活躍する。2020年まであと3年。代表となれば、79歳で最年長記録になる>

 リオデジャネイロ五輪に間に合わなかった馬がこの冬から大会に出られそう。僕は東京五輪で79歳。体力が持つか分からないし、目指すとは言い切れない。でも、その馬がかわいいんだ。自然体でね、もう少し一緒にトレーニングしたいと思っている。

 運よく高いレベルでできているけど、たとえそうでなくても馬に乗る楽しさは変わらないでしょう。引退? 辞めたらどうやって一日を過ごせばいいのか。そんなことを考えると不安で辞められなくなるんです。 (この企画は随時掲載します)

◆日本人の五輪最年長出場

 ◆最年長記録は72歳 法華津は67歳だった2008年北京五輪で44年ぶりに大舞台へ。12年ロンドン五輪は71歳で挑み、自身が持つ日本人最年長記録を更新。リオデジャネイロ五輪は馬が体調を崩し「無理をさせたくない」と断念した。

 五輪の最年長出場記録は、1920年アントワープ大会射撃男子のスバーン(スウェーデン)で72歳。法華津が2020年に出場すれば、79歳で最年長記録となる。

<ほけつ・ひろし> 1941年3月28日生まれの76歳。東京都出身。12歳で乗馬を始める。慶大卒業後、米国へ留学。35歳の時に障害飛越から馬場馬術へ転向し、88〜92年の全日本選手権5連覇。外資系医薬品会社の社長を務めていたが、2003年に退職し、ドイツで生活を送る。

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