東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 特集・連載 > 1964年からの手紙 > 記事一覧 > 記事

ここから本文

【1964年からの手紙】

男子400リレー代表・浅井浄さん 一番大切なのは絆

1964年東京五輪の赤いブレザーを着る浅井浄さん。当時使用したさまざまなピンの長さのシューズは大切に保管してある=兵庫県宝塚市の自宅で

写真

 1964年東京五輪のオリンピアンが次の世代に思いをつなぐ「1964年からの手紙」。陸上男子400メートルリレー代表だった浅井浄さん(77)にはずっと心に残っていることがある。陸上は個人競技であり、リレーはチーム競技。自らの経験から大切なことを伝える。 (森合正範)

 <東京五輪を控えた1964年9月、男子400メートルリレーのメンバーは長野県松本市に集まり、バトン練習をするはずだった。関西出身の浅井さんは軽妙な語り口で当時を振り返る>

 あの時代はね、みんながライバルですわ。競い合っていた。そっちの意識の方が強い。一緒に行動するのを嫌がる選手もおったな。

 バトンパスを真剣に練習した覚えはないなあ。個の力というか自分のことに必死。今のアンダーハンドパスと違って、オーバーハンドパスですよ。緻密な計算もないし、相手の調子を見て「出るのを早めよう」「遅くしよう」と感覚で判断しとった。話し合いなんて、ない、ない。走順も直前まで決まらない。チームワークはなかったなあ。

 <10月20日、国立競技場。第3走者を任された。予選は41秒0の6着だったが、タイムで救われ通過。準決勝(2次予選)は40秒6の8着で敗退した。本番の話になると口が重くなる。いまだに悔恨の念がある>

 当時のことはずっと話したくなかったけど、もういいか…。予選はなあ、2走の蒲田(勝)さんから私へのバトンパスが乱れました。(受け渡し区間を越える)オーバーゾーンになると思って止まった。呼吸が合わなかった。相手の調子の問題かもしれないし、話し合いもなくて微妙なところが分からんかった。心残りというか、思い出したくないというか。周りが「五輪選手」と言ったら「言うな!」と口をふさいでました。

 準決勝のバトンパスはスムーズにいった。やることはやったから後悔はないんやけど、終わってみんなで話すこともない。「うーん」と言うくらいやったな。

 <当時の苦労も思い出す。国立競技場のトラックはアンツーカーと呼ばれる赤い土。合成ゴムの全天候型になったのは68年メキシコ五輪からだった>

 ほら、写真を見れば分かる通り、国立は土でね。今は地面から反発をもらって走るけど、当時は土をピンで引っかいて、すぐに抜くような走り。天気や競技場の土によって走り方を少し変えたりな。

 特に地方の競技場はひどかった。長距離レースの後だとインコースはみんなが走った跡で土がでこぼこ。走りづらくてなあ。土砂降りの雨なら田んぼですわ。

東京五輪の陸上男子400メートルリレーで日本の第3走者を務めた浅井浄さん(右)=1964年10月20日、国立競技場で(浅井さん提供)

写真

 競技場によって土の硬さが違うから、いつもスパイクを4、5足持ち歩いてね。いろんなピンの太さや長さがあって、この靴は雨天用、硬い土用、普通用とか。土が硬いとピンが細くて長さ1センチくらいの短いスパイク。雨なら土の硬い部分まで届くように針のように長い3、4センチくらいのピンのスパイクを履いたり。靴選びから勝負ですわ。

 <昨年8月20日、兵庫県宝塚市の自宅でテレビ画面にくぎ付けになった。リオデジャネイロ五輪の男子400メートルリレーが銀メダル。そこには当時にはないものがあった>

 4人は仲良しだね。侍ポーズをしたり、やっぱりチームワークが大切。ライバルだけど、一つにまとまる。バトンパスのタイミングや距離をきっちり話し合っとる。当時はそういう考えがなかった。

 今、小学生に教えているけど、必ず練習の合間にミーティングをやる。常に話し合って、思っていることを言ったり、信頼関係を築いたり。バトンを渡す方は思いやり。もらう方も思いやり。それがなかったらバラバラになる。私はうまくいかなかったから分かる。リレーで一番大切なのは絆。それしかないですよ。 (この企画は随時掲載します)

◆「世界の盗塁王」育てる

 東京五輪後、浅井さんは阪急電鉄に入社し、1969年にプロ野球の阪急ブレーブスに出向した。1軍マネジャー兼トレーニングコーチを務め、当時の西本幸雄監督から「足が速い選手がいるから見てやってくれ」と紹介されたのが新人の福本豊さんだった。

 スタートから低い姿勢のまま加速する走法を教え、世界の盗塁王へ育て上げた。77年までコーチを続け、フロント入り。「よく福本と競走した。『何しとんねん。もっと腕を振れ』と話しながら走っても、負けなかった」と胸を張る。

 妻の洋子さんは「野球の応援に行ったら、福本選手の走り方が夫とすごく似てました」と驚いた表情で話した。

◆東京五輪の男子400メートルリレー

 日本の走順は飯島秀雄、蒲田、浅井、室洋二郎。林寿男と石川準司が補欠だった。米国が39秒0の世界新記録で金メダル、2位はポーランド、3位はフランス。

<あさい・きよし> 1940年2月6日生まれの77歳。兵庫県明石市出身。関西学院大4年時の日本学生対校選手権で100メートルは優勝、200メートルは2位。100メートルの自己記録は10秒5。

写真
 

この記事を印刷する

PR情報