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【1964年からの手紙】

長所伸ばせば良い レスリング代表吉田義勝さん

東京五輪で選手村の自室に飾っていた国旗を持つ吉田さん=東京都北区で

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 1964年東京五輪のオリンピアンが次の世代に思いをつなぐ「1964年からの手紙」。レスリングフリースタイルフライ級の吉田義勝さん(76)は、日本のお家芸となる「栄光の最軽量級」でグレコローマンスタイルの花原勉さん(77)と並び、最初の金メダリストになった。働きながら競技に励んだ苦労人が当時を振り返る。 (松山義明)

 <戦後復興の象徴だった東京五輪。だが経済成長の波が地方へ届くまで時間がかかった>

 故郷の旭川ではあまり復興を感じられませんでした。両親は馬を飼い、配送をなりわいにしていました。私は7人きょうだいの5人目。姉兄は中学を卒業して働き、私も地元の薬屋で働きながら定時制高校に通いました。

 東京に進学できたのはレスリングの全国大会で活躍できたため。五輪開催は決まっていたけど、当時は教職免許がほしかった。けんかばかりの私が中学、高校を皆勤できたのは素晴らしい先生と巡り合えたから。貧乏学生なので大学では練習後にアルバイトの掛け持ち。建設現場で夜間警備をし、新聞社で朝刊をトラックに積み込んでいました。

 <迎えた五輪では試合前日に38・8度の高熱を出した>

 選手村で寝込んでいると、レスリング総監督の八田一朗さんが、ベッド横に飾っていた国旗を見て諭すのです。「こういうものを見ているから気が高ぶって熱が下がらない。試合はいい。メダルもいらない。お前の体が大事だ」と。逆に闘志が湧きました。冗談じゃないって。

東京五輪レスリングフリースタイルフライ級で金メダルを獲得した吉田義勝=1964年10月14日、駒沢体育館で

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 風邪は開会式3日前に大雨を浴びたから。高校の監督を上野駅に迎えに行った帰りです。五輪1年前に試合で負けてレスリングを辞めようとしたとき、その恩師が励ましてくれました。「途中で諦めるな。高校時代、仲間たちがなけなしの金を遠征費としてカンパしてくれたのは、明るい希望を求めていたからだ」。だから五輪には出なければいけなかった。

 <日本選手が誰ひとりかなわなかったソ連のアリエフを、本番の五輪では倒して優勝を確実にした>

 病み上がりでフワフワしていましたが、初戦でフランス選手にフォール勝ちして調子が戻った。アリエフは腕が長く、力も強い。試合終盤、左腕をつかまれた。場外に逃げるふりをすると、逃すまいと強く引いてくる。その瞬間、狙い通りに左足へタックルを決めたのです。アリエフは相手を引き寄せるとき、重心が軸足にかかって守りがおろそかになる。彼の試合を観察して見つけた弱点でした。

 <日本レスリング協会の会長として五輪招致にも貢献した八田総監督。破天荒な「八田イズム」が語り草だ>

 精神力を鍛えようと、動物園でライオンとにらみ合ったり、正月に寒中水泳したり。それで強くなれるはずがない。でも効果はあった。面白がって新聞やテレビが取り上げてくれるから、選手たちは「注目されるのなら頑張らなきゃ」と気合が入った。

 こんなこともありました。直前合宿で食事するとき、レスリング選手だけ学生服やワイシャツの正装。ほかの競技はジャージー姿です。八田さんは言いました。「みっともない姿を外国の選手に見られたら『やっぱり日本は後進国だ』と思われる。相手に優越感を与える訳にはいかない。レストランもマットの上と同じだ」。あの時代、そんな発想をする人はいなかった。

 <小さな体、短い練習時間を武器に変えた>

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 ヒントになったのはラジオで聞いたカーン博士の話。ボクシングで日本人初の世界王者になった白井義男さんのコーチです。いつも博士が荷物を持ち運びして「年長者に持たすなんて」と批判が出た。でも博士は「重い物を持って筋肉がつけば、白井の特長である切れやスピードが消えてしまう」と反論したのです。

 長所を伸ばせば良いのかとひらめいた。鉄棒に2本の縄をぶら下げて相手に見立て、それを揺らして避けたり、タックルに入ったりして俊敏性を磨きました。体の柔らかさを保つため、ストレッチの時間も他人より増やした。例え何時間練習しても、ライバルと同じことをしていたら勝てない。あとは練習や試合で自分に何が必要か、常に考えること。持ち味は生かしてこそ光ります。 (この企画は随時掲載します)

◆「金」量産 お家芸に

 1964年東京五輪で日本が獲得した金メダル16個のうちレスリングは5個。不参加のモスクワ五輪を除き、日本は52年ヘルシンキ五輪から2016年リオデジャネイロ五輪まで連続でメダルを取ってきた。吉田さんは「母国開催は半世紀に一度あるかどうかのチャンス。最後まで諦めないで戦って」と伝統の継承を願う。

 いまは女子が量産し、リオ五輪では金4個。04年アテネ五輪で正式採用される前から、日本レスリング協会が組織を挙げて強化してきた成果だ。「あれだけのパフォーマンスを出せる女子がいれば、男子も励みになる」。相乗効果での躍進に期待した。

<よしだ・よしかつ> 1941年10月30日生まれの76歳。北海道旭川市出身。日大4年生時、東京五輪代表の最終選考会を兼ねた64年8月の全日本選手権で初優勝。同五輪後に引退して明治乳業(現明治)入社、関連会社社長など歴任。旭川観光大使。全日本マスターズレスリング連盟会長。

 

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