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【1964年からの手紙】

ハンドから転向 3年で代表に カヌー代表・本田大三郎さん

東京五輪カヌー男子カナディアンペア予選に出場した本田大三郎(右)=1964年10月20日、相模湖で

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 1964年東京五輪のオリンピアンが次の世代に思いをつなぐ「1964年からの手紙」。カヌー代表の本田大三郎さん(82)は、日本代表の経験もあったハンドボールが東京五輪の実施競技から突如除外され、転向後わずか3年で代表の座を射止めた。競技転向で広がる可能性について「スポーツは全てつながっている」と語る。 (森合正範)

 <1961年の国際オリンピック委員会(IOC)総会で、東京五輪の実施競技からハンドボールが外れた>

 僕は自衛隊体育学校でハンドボールとラグビーの教官兼選手でね。ハンドボールはずっとやってきたし、東京五輪に出たい気持ちはあったけど、こればっかりは仕方ない。

 代わりに入った競技を見たら、立て膝でパドルをこぐカナディアンカヌーがあった。子どものころ、学校から帰ってくると毎日のように(熊本県の)球磨川で櫂(かい)で小舟をこいで悪さをしていたんですよ。そのころの遊びと同じで、これならいけるんじゃないかと考えたわけです。

 <当時、日本にはカヌー競技の本格的な活動はなく、協会もなかった。62年4月、デンマークから艇が到着し、初めて近代カヌーがお披露目された。本番まで、あと2年6カ月と迫っていた>

 コーチもいない。艇もなければ、パドルもない。何もかもがなかった。相模湖で艇の試乗会があったんです。日本中から猛者が集まって、艇に乗ろうと思ってもみんなドボンとひっくり返る。落ちないで向こうの島まで行ったのは僕だけですよ。日本三大急流と言われる球磨川での悪さがつながった。バランス感覚が競技に生きたんです。

右側を大きく仕立てた東京五輪のブレザーを着る本田大三郎さん(左)。右は長男の多聞さん=本田大三郎さん提供

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 そのころの合宿なんて、艇は一つだけ。みんな奪い合いですよ。僕は夜中に寝床からそっと抜け出して、カヌー倉庫の横で寝るわけ。夜が明けたら、みんなが起きる前にカヌーを担いで湖に出て、2時間の練習。もう必死ですよ。

 <ほとんどの選手が転向組。陸上、水泳、柔道の選手もいたという。会得するためには、工夫が必要だった>

 大切なのは生活です。いかに競技と生活を密着させるか。カヌーをこぐ必要はない。水がなければ空こぎでもいい。与えられたものではなく、自分で考えることですよ。

 当時、僕はね、トイレでしゃがんだことはない。右膝をついてカナディアンのスタイルでしていましたよ。みんな「アイツ、変な格好でトイレにいるぞ」と言ってね、アハハ。便の大きさや色まで練習日誌に書いてました。それで体調や疲れが分かる。できることは何でもやりましたよ。

 食事も本を読む時も、寝る時以外はいつも片膝をついていましたから。そのスタイルが自然にならないといけない。

 ハンドボールも右だけだったし、腕や肩はより右半身が発達して、大きくなった。だから、東京五輪のブレザーは右側が大きい、いびつな形で作ってもらったんです。そうでないと着られないんだから。

 <近年、日本でも競技を転向する選手が増えてきた。先駆者として「スポーツには相関性がある」と説く>

 スポーツなら何でもいいんですよ。多様性のある選手の方がいい。スランプになった時にカバーもできると思う。僕はハンドボールやラグビーで培ったものが大きかった。球磨川の悪さも役に立つくらいだからね。スポーツには相関性があるんですよ。

 五輪は出ようと思えば誰でも出られる。これは長い間スポーツに携わってきた僕の持論です。背が低いとバレーボールは無理かもしれないけど、他にも適した種目がある。あとはどれだけ信じて本気になれるか。

 息子の多聞(たもん)だって、相撲も水泳もやって、本人はラグビーの選手になるつもりでいつもボールを抱えていた。だけど、結局レスリングで(3大会連続)五輪に行った。スポーツは全てつながっているんです。

 (この企画は随時掲載します)

東京五輪テスト大会3位の賞状を手に笑顔の本田大三郎さん=神奈川県横須賀市で

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◆本田家 別競技で代表3人

 本田家からは3人の五輪選手が誕生している。それぞれが異なる競技に取り組んでいるのが大きな特徴だ。長男の多聞さんはレスリングで五輪に3大会連続出場し、後にプロレスラーとして活躍した。本田さんは「親と同じ競技だと『五輪に出て当たり前』と言われるし、本人にも負担がかかる。どのスポーツでも同じゼロからのスタート」と強調する。

 また、サッカーの本田圭佑(パチューカ)は本田さんの兄の孫にあたる。「圭佑が小学生の時に練習日記を書くことを勧めた」と話し、「小さいころから目標を先に言うタイプだった。例えば『オレは五輪に出る』と言っちゃう。取り返しがつかないから努力する。あの通りでしたよ」と笑った。

<ほんだ・だいさぶろう> 1935年2月17日生まれの82歳。熊本県坂本村(現八代市)出身。自衛隊体育学校1期生。63年の東京五輪テスト大会ではカヌーのカナディアンシングルで3位。本番直前に2人乗りに変更となり、五輪はカナディアンペアで準決勝敗退。72年ミュンヘン五輪ではカヌー代表コーチ。現在はカヌースクールで小中学生の指導にあたる。

 

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