東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 特集・連載 > 1964年からの手紙 > 記事一覧 > 記事

ここから本文

【1964年からの手紙】

相棒いたから頑張れた 飛び込み 金戸俊介・久美子夫妻

東京五輪当時の記念写真を眺めながら思い出を語る金戸俊介さん(右)と久美子さん=埼玉県川口市で

写真

 1964年東京五輪のオリンピアンが次の世代に思いをつなぐ「1964年からの手紙」。大会後に結婚した水泳・飛び込み代表の金戸俊介さん(78)、久美子さん(81)=旧姓・渡辺=は「苦労を分かち合える相棒がいたから東京まで頑張れた」という。長男夫婦も五輪に出場している飛び込み一家。指導歴の長い金戸夫婦は孫たちの新しい「東京世代」に日本勢初のメダル獲得を託す。 (松山義明)

 <2秒に満たない一瞬で技を競う。当時は練習施設も少なく苦労が多かった>

 俊介さん 日大の飛び込みプールは、鉄骨で組んだ火の見やぐらのような塔があるだけ。いまだったら安全性や耐震性から許可されませんよ。もちろん浄水装置は無いから、藻が張った緑色の水の中でやっていました。

 久美子さん 私は明治神宮水泳場が多かったですね。お堀の水を想像してもらえば分かるかしら。だからローマ五輪は感動しました。水のきれいなこと。水面に映し出された青空もすてき。東京五輪でできた国立屋内総合競技場(現・国立代々木競技場)も立派でうれしかったですね。

 <代表同士のカップル。いつから交際していた?>

 俊介さん 一緒に練習する機会が多いから、いつの間にかという感じでしょうか。東京五輪の2年ほど前には結婚を決めていました。

東京五輪の選手村で談笑する俊介さん(右)と久美子さん=俊介さん提供

写真

 久美子さん いい相談相手ですよ。コーチはそれぞれ母校の先生。私の先生はスパルタ練習で、いつも私がぶうたれていた。主人が慰めてくれたから、2度目の五輪まで続けられました。毎日、練習だったのでデートの思い出は、あまり無いかしら。

 俊介さん 私が上京したばかりの日大1年生のとき、彼女は日体大4年生。最初は「ハイ、ハイ」と聞いているだけでしたよ。なにせ当時は1歳違うだけで天地ほどの上下関係がありましたから。

 <東京五輪は不完全燃焼に終わった>

 久美子さん 競技日程は女子から。私は開幕前に疲れ切っていました。自国開催の大イベント。そりゃコーチは張り切りますよ。「1000本飛ばないと技は身につかない」とか根性論ばかり。10メートルの高飛び込みを毎日100本くらい繰り返しました。現在はけがを防ぐため、一日に何本も飛ばせません。

 俊介さん 私はミスに泣いた。板飛び込み予選の最終演技で踏み切りに失敗。前逆宙返りの途中で板に頭をぶつけ、3メートル下のプールに落ちてしまった。決勝に進めなかったばかりか、16針くらい縫う大けがで3日間も入院。ドクターに頼み込んで2種目めの高飛び込みに出ましたが、力を出し切れませんでした。

 <引退後はともに指導者の道に。長男恵太さんをオリンピアンに導いた>

 俊介さん 一番苦労したのは日大の監督時代。息子だからって特別視できない。みんな同じように見ないと選手はついてこないものです。これだって思える選手がいたら、かかりきりになりたいのが指導者のさが。しかし教育者でもありますから、えこひいきしないよう心掛けました。

 久美子さん 教えにくかったと思いますよ。息子は息子で「何を言ってもおやじに無視された」って、よくプンスカ怒っていた。私は一度も五輪へ応援に行ったことはありません。主人が海外遠征に行ってしまうと、普段教えている選手を見る人がいなくなってしまう。私が朝から晩までプールサイドに立ち、自分の生徒と一緒に見ていました。

 <2度目の東京五輪が近づいてきた。五輪で日本勢は過去4位が最高>

 俊介さん 私はコーチとしても3大会で五輪に臨みましたが、あと少しのところで選手を表彰台に上げられなかった。いまの指導者はトランポリンを活用したり、スマホで撮影した動画をその場で練習に反映させたり、いろいろと工夫しています。各地で若年層の強化も進んでいる。一人じゃなく、チームで強くなることでメダルに近づける。2020年は表彰台に掲げられた日の丸が見たい。 

東京五輪の男子板飛び込みに臨む俊介さん=1964年10月13日、国立屋内総合競技場で

写真

東京五輪の女子高飛び込みでダイブする久美子さん=1964年10月15日、国立屋内総合競技場で

写真

◆3代続けて五輪挑む

 長男恵太さんはソウル五輪から3大会連続で五輪出場した。恵太さんの妻・幸さん(ゆき=旧姓・元渕)も同じ3大会で活躍。俊介さんは「お嫁さんが6位入賞(アトランタ)で一番成績がいい。最も悪いのが10位止まりの私」と苦笑いする。

 孫の華(はな=日大1年)、快(かい=東京・日出高2年)、凜(りん=東京・日出中2年)は2020年東京五輪を目指し、父母が指導する「セントラルスポーツ・ダイビングチーム」で技を磨く。

 日本選手権を制するなど有望株ぞろい。俊介さんが「私たちが口を出すことはない」と言うよう、孫たちは大きくなるまで祖父母が飛び込み選手だったことを知らなかった。久美子さんは「自分に合った歩みで頑張ってもらえればいい」と目を細める。

<かねと・しゅんすけ> 1940年1月5日生まれの78歳。金沢市出身。日大卒。60年ローマ五輪で五輪史上初の「前宙返り3回半えび型」に成功。ユニバーシアードは61年大会で高飛び込み優勝、63年大会は高、板で2冠。66年から埼玉・市立川口高教諭。日大水泳部飛び込み監督、日本水泳連盟強化コーチなど歴任。

<かねと・くみこ> 旧姓・渡辺。1936年5月10日生まれの81歳。東京都渋谷区出身。日体大卒。ローマ、東京五輪に出場。58年東京・アジア大会で高飛び込み優勝。65年から東京・日大桜丘高教諭として後進を指導。

写真
 

この記事を印刷する

PR情報