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【知られざる世界ランカー】

ウイングスーツ・フライング 伊藤慎一(51) 時速363キロ 気流に乗る

富士山近くを飛ぶ伊藤慎一=2013年11月(伊藤さん提供)

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 ムササビのようなスーツをまとい、大空を自由自在に滑空する。伊藤慎一(51)は日本の「ウイングスーツ・フライング」の第一人者。50歳を過ぎて、なお前人未到の挑戦を続ける鳥人だ。

 スカイダイビングのように垂直に落下するだけでなく、水平に飛びたい。それを可能にしたウイングスーツは、1999年にフィンランドの企業が開発した。マントを広げて翼をつくり、風を受け止める。スーツの中に空気を取り込んで飛ぶ仕組みだ。

 米国を拠点に、スカイダイビング1600回以上の経験を持つ伊藤が、ウイングスーツを始めたのは2006年、42歳の時だ。「22歳で始めて20年。スカイダイビングはやり尽くしたので、何か新しい挑戦をしたかった」

 初めての飛行は「そんなに滑空しなかった」と失敗。翼に風圧を受けながら、両手、両足を広げる正しい姿勢を維持するためには、それなりの筋力と技術が必要。だが、回数を重ねるうちに伊藤はその醍醐味(だいごみ)に魅せられていった。

 通常、高度4000メートルから飛び降り、滞空時間は約2分。スカイダイビングの約2倍の時間、空の旅を楽しめる。「落ちるのではなく、本当に飛んでいる感覚。宙返りもできるし、鳥の気分を味わうなら、これ以上のものはないと思う」

 今、やってみたいと思うことが二つあるという。2013年、静岡県の富士山上空から飛び降りた感動が忘れられない。「左側に富士山、右側に太平洋が見えて今まで(米国では)見たことのない景色だった。今度は富士山を飛び越えたい」

 もう一つが、2020年東京五輪開会式の出演。「前回東京大会でブルーインパルスがしたように、ウイングスーツのパイロットで上空に五つの輪を描いてみたい」

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ムササビのような羽根がついたウイングスーツを着る伊藤=東京都調布市で

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 伊藤は現在、個人として三つのギネス記録を持つ。ウイングスーツで実際に飛行した総距離28・707キロ、これを水平直線距離にした26・9キロ、そして最高飛行速度時速363キロだ。記録は衛星利用測位システム(GPS)で測る。記録に挑戦する時は、酸素マスクを装着し高度1万メートルから飛び降りる。ちょうどジェット機が飛ぶ高さだ。

 気温はマイナス40〜60度だが、基本的に防寒はしない。サーマルシャツを重ね着して使い切りカイロを張る程度。着込むと体を動かせなくなるし、特に手袋は分厚いとパラシュートの操作ができなくなる恐れがあるからだ。1万メートルまで上がるための準備もまた一苦労だ。

 事前に減圧室に入って、万が一低酸素症にかかっても体が動くか確認する。当日も離陸前に酸素を1時間吸って、血液中から窒素を抜く。「急激に高度が上がると、血液中の窒素が泡になって脳の血管を詰まらせる恐れがあるから」という。

 飛行機に乗ってからも、プロペラ機の限界とされる高度1万メートルに達するまでに約60分。極寒の機内で寝袋にくるまって待つ。ここまでして挑戦する理由を伊藤は「単純に記録を伸ばしたいから。ただ運も必要で、最高飛行速度363キロはジェット気流に乗れたから出た。気象条件は空に上がるまで分からない」。

 高度1万メートルから飛ぶと、滞空時間はおおよそ7分だが、伊藤は「8分の世界を目指している」。

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 ウイングスーツ・フライングは、実は世界で一番危険なスポーツと言われる。それは、海外では崖や山の斜面から飛び降りる「ベースジャンプ」が盛んに行われ、死者が後を絶たないからだ。

 時速200キロ以上の猛スピードで岩と岩の間を巧みにすり抜けて飛ぶ光景は確かに圧巻。だが、予期せぬ突風に見舞われたり、予想に反して風がやむことも。もし木や山肌に接触すれば大事故だ。

 伊藤は「年に20人ほどが命を落としている。トップクラスと言われる人も3、4人」。自身は「ベースジャンプ」は行わないが、この無法状態には複雑な思いだ。

 伊藤もこれまで1000回を超えるウイングスーツの飛行で、パラシュートが開かず、ヒヤリとしたことが2度あるという。いずれも予備のパラシュートで難をしのいだ。「スーツの機能を含め、安全性の確保が一番重要。普及活動にも力を入れたい」と責任の重さを口にした。

 (牧田幸夫)

◆愛好者世界に3000人

 <ウイングスーツ・フライング> 手と足の間に布を張った特殊スーツで空中を滑空する。スカイダイビングのように高度4000メートル以上から飛び降りる。高い崖から飛び降りるのは「ベースジャンプ」と呼ばれる。世界基準のルールとして、挑戦するためには、500回以上のスカイダイビング経験、または200回以上の経験とインストラクターの指導を受けることが必要。愛好者数は世界で3000人、国内は10人程度。

◆世界記録6回

 <いとう・しんいち> 日本で唯一のプロのウイングスーツ・パイロット。1600回以上の豊富なスカイダイビング経験をベースに42歳からウイングスーツ・フライングを始める。これまでに総合飛行距離、最高飛行速度など世界記録を6回達成。企業の危機管理などを行う株式会社リスクコントロール(東京都調布市)社長。51歳。

 

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