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【知られざる世界ランカー】

高橋靖彦・ラート世界V3挑む 回転自在 まるで宇宙

「斜転」の演技を披露する高橋靖彦=茨城県つくば市で

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 大きな鉄製の輪を自在に操って演技する体操競技の一つ、「ラート」。ドイツ生まれのこの回転系スポーツで、高橋靖彦(30)は世界の頂点に立つ。日本ではなじみが薄いが、「誰もが楽しめる。その魅力を伝えたい」。競技生活と普及活動を両輪に、忙しく回り続ける毎日だ。

 2013年の世界選手権で日本選手として初めて個人総合優勝に輝いた。現在2連覇中で、6月の世界選手権(米国)で3連覇に挑む。個人総合3連覇は、本家ドイツの選手でさえ達成していない前人未到の領域だ。

 輪の中の体が回る。ラートの非日常的な感覚や視界は「宇宙遊泳の気分」と紹介されることが多い。鉄製の輪は直径約2メートル、重さ約50キロ。回転は運動の慣性と重力を利用するため、いかに重心移動をスムーズに行うかがポイントだ。

 前後に回る「直転」、傾きながら回る「斜転」、転がしてその上を跳び越える「跳躍」の3種目がある。五輪の体操競技のように、組み入れる技の難度、演技の構成、芸術性などで採点される。

 国内無敵の高橋は、全日本選手権は12年から個人総合4連覇中。13年からは3種目完全制覇を続けている。とりあえず4年後の東京オリンピックまでは、第一人者でいたいと考えている。

 「五輪の開会式などにパフォーマーとして出演したい。いずれは国際大会も日本に誘致したい。ラートという面白いスポーツがあるということを広くPRしたい」

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 高橋は元球児だ。秋田・角館高校時代は甲子園を目指し野球一色。進学した筑波大でも野球を続けた。しかし浪人時代に骨折した右足は、けがをすると回復に時間がかかり、結局、1年で選手を断念することに。野球部も辞め、別の競技に進むことにした。

 ここまではよくある話かもしれない。だが高橋が選んだのは意外にも苦手の体操。「アメフット、ラクロス、ホッケーと勧誘されたが、走り込む競技はできない。それで誘われてもいないけど、雰囲気の良さそうな体操部に入り、ラートと出会った」。体育教師を目指すなら、苦手分野は克服しておきたい。当初はそんな思いの方が強かった。

 野球で培った筋力に加え、体操で身に付いたバランス感覚。ラートの腕はめきめきと上達し、4年時に全日本学生選手権の跳躍で優勝し、個人総合3位。「3年やって体を動かすこつが分かってきた。トランポリン、Gボールなど他の種目の体の使い方のタイミングやこつがラートにも生かせるようになった」

 トップを目指せる手応えをつかんだ高橋は09年、内定をもらっていた大手企業に就職したものの、ある決断をする。「翌年の世界大会の日本代表に選ばれることと、大学院に合格すること。二つが達成できたら会社をやめてラートに打ち込む」

 10年春、1年で退社し筑波大大学院に進学。同年の世界チームカップ選手権(団体戦)で日本は銀メダルを獲得。高橋はトップ選手へと突き進んだ。

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 マイナースポーツの選手にとって、競技資金の確保は切実な問題だ。世界王者の高橋とて例外ではない。

 スポーツ教室で子どもたちに体操を教えたり、ラート体験会の講師として各地を訪問。プロバスケットボールのハーフタイムショーなど、出演依頼には喜んで応じる。

 また6月の世界選手権遠征費などは、クラウドファンディングで調達できるめどが立った。ふるさと秋田を中心に応援の輪が広がり、目標額に達したという。アスリートにとって、支援者、ファンほどありがたいものはない。

 高橋は「ラートにかける思いは誰にも負けない」と言い切る。勝つことが目的なら、世界王者になった時点で満足したかもしれない。だが、高橋にとっては世界一がスタートラインだった。

 「マイナースポーツは勝ちだけを目指しても先がない。メジャースポーツにはない良さや楽しさを伝えていく地道な活動を続けてファンを増やしていくことが大切。そのために勝ち続ける」

 (牧田幸夫)

 <たかはし・やすひこ> 筑波大1年まで野球一筋だったが、けがで競技を断念。2年から体操部に入り、ラートと出会う。大学4年の2008年、日本代表初選出。13、15年と世界選手権男子個人総合2連覇。種目別、団体戦合わせ世界大会で6個の金メダルを獲得。全日本選手権は男子個人総合4連覇中。178センチ、75キロ。秋田県角館町(現仙北市)出身。30歳。

 <ラート> ドイツ発祥のスポーツで、2本の鉄の輪を平行につないだ器具を用いてさまざまな体操を行う。もともとは子どもの遊具として開発されたが、1960年代に競技会が行われるようになり、欧州中心に広まった。89年、当時東海大学講師の長谷川聖修氏(現筑波大学教授)が留学先のドイツから持ち帰り、ニュースポーツとして普及活動が始まった。国内の競技人口は約300人。

 

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