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スポーツのしおり

(3)1945年のベースボール ステートサイド・パークの頃に

写真

 写真に問い掛けられている気がした。

 海外の野球場を想起する写真たち。

 スコアボードの下には「ステートサイド・パーク」などの文字が見える。

 だがこれは、れっきとした日本の球場である。

 現在、神宮球場と呼ばれるスタジアムは昔、名前を英語に変えていた時代があった。

     ◇

 今から70年前の1945年、正確にいえば、終戦直後の同年9月、神宮球場は進駐軍によって接収された。軍の娯楽施設に充てられ、名前も変更され、許可なく使うことを禁じられた。

 スポーツはよく平和や自由の象徴と言われる。だが、そうではない時代があった。戦争により、自由が制限された時代。大学のリーグ戦が中断され、球場が空襲で延焼した時代。接収は1952年3月まで続いた。これを見たとき、格好いいとしか感じなかった自分の不明を恥じた。

 救われたのは元プロ野球中日の投手で、明大の学生としてここでプレーした杉下茂さん(89)の話を聞いたとき。「でも、少したつと、進駐軍の許可を得て、試合ができるようになってね。『明日は夕方から米軍が使うから、朝8時からの試合に変更だって』ということもあったが、皆で野球ができることを楽しんでいたよ」。野球をやるのに国籍は関係ない。人の持つたくましさに頭が下がった。

 1926年に作られた神宮球場は2020年東京五輪の後、新しく建て替えられることが決まった。そんな今だからこそ、70年前の野球を考える。スポーツのあるべき姿を、写真に問い掛けられている気がした。

    ◇

 写真左上は「ステートサイド・パーク」と書かれた神宮球場のスコアボード。右下は同バックスクリーン。GHQ(連合国軍総司令部)の文字が見える(ともに明治神宮外苑提供)。左下は接収時代に神宮球場を訪れた米サンフランシスコ・シールズのメンバー(Stars and Stripes提供)

 協力・野球殿堂博物館 文・谷野哲郎 デザイン・高橋達郎

 

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