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スポーツのしおり

(36)「ぼくらの背中を押してくれた」 それぞれの春

写真

 ここに2011年10月に撮影した1枚の写真がある。陸上の世界選手権(大邱)男子ハンマー投げで金メダルを獲得した室伏広治さんを中央に、石巻市立門脇中学校の生徒が左右に並ぶ報告会。前を向き始めたばかりの中学3年生はまだ伏し目がちだった。

 滝雄大さんは東日本大震災で親戚14人を亡くし、親友も失った。何をやっても身が入らない。「心がぐちゃぐちゃだった」という。平和樹さんは津波で自宅が流され、同じ野球部のエースもこの世を去った。「自分だけ楽しんでいいのか」。心は沈んだまま。

 11年6月。室伏さんが「1日教師」として門脇中にやってきた。リレーが行われ、室伏さんからバトンを受け取ったのが滝さんだった。同時に反対の手で背中を押される。「大きな手でグッと押された瞬間、不思議と吹っ切れた」。前を向こう。初めて、そう思えた。

 夏の世界選手権。平さんはテレビに映る室伏さんを夢中で応援した。「あの時、初めて震災を忘れ、没頭することができた」。全力で挑む姿に心を動かされる。「僕も行動に移そう。勉強を頑張ろう」。高校受験に向けて走り出した。

 自分たちだけ前へ進んでいいのだろうか。躊躇しながら、踏み出した一歩。2人は「いま考えると、あれがスポーツの力なのかもしれない」と口をそろえる。久しぶりに体を動かし、背中を押された滝さん。無我夢中で、テレビに声援を送り続けた平さん。あの出会いがなかったら、どうなっていたのか分からない。

 高校卒業後、滝さんは石巻に残り、自動車整備士を目指している。「将来はダカールラリーのメカニックになりたい」。夢見るのは室伏さんと同じ世界が舞台。「叶った時には、『室伏さんのおかげでここまで来られました』と報告したい」

 千葉大に通う平さんは約400キロ離れた故郷を思う。自宅は海岸から近く、波の音が聞こえてきた。「思い出すのは石巻の海。スーッと波が満ち引きする優しい海なんです」。3月から就職活動が始まった。「不動産業や開発業者として、石巻の町づくりに関わりたい。復興の役に立ちたい」

 暖かい日差しが降り注ぐ。当時の写真と比べ、2人の表情は明るく、柔らかい。それぞれの夢へ。21歳の春がやってくる。

 文・森合正範/写真・高橋達郎、森合正範、木口慎子/デザイン・高橋達郎

 

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