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【ドナルド・キーンの東京下町日記】

最高のシンフォニー

コロンビア大での講演後、聴衆と談笑するドナルド・キーン氏=4月30日、米ニューヨークで(鈴木伸幸撮影)

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私は今、日本人になって二度目の訪米中だ。ニューヨークでは石川啄木について講演するために母校コロンビア大を訪ねた。同大の図書館の展示ケースには「東京下町日記」の切り抜きが並び「二〇一二年十月から連載中のコラム『Tokyo Downtown Diary』」と紹介されていた。まだ少し肌寒い中、大学周辺の公園には桜が咲き、遅い春を感じながら旧友とも再会した。

 三年前にニューヨークを引き払ったとき、一つだけ残念だったのがメトロポリタン・オペラ(メト)の定期会員の席を失うことだった。東京ではしばしば映画館でメトの映像を見ているが、今回の訪問で最初に向かったのはメト。短期間に三度もオペラを楽しんだ。

 私が思うに、音楽の魅力は文学と同様、その普遍性にある。言葉や文化の壁を越えて、誰の心にでも訴えかけてくる。私がそんな魅力を最も深く感じたのは、戦時中のハワイの捕虜収容所でだった。

一九四四年一月。米海軍の通訳士官だった私は、尋問したインテリの日本人捕虜から「クラシック音楽を聴けないのが寂しい。ベートーベンのエロイカ・シンフォニー(交響曲第三番『英雄』)を聴きたい」と打ち明けられた。捕虜に音楽を聴かせることは禁じられていない。多くの捕虜と接し「戦後日本の復興には彼らが必要」と思っていた私は、ささやかな娯楽を提供しようと収容所でこっそり音楽会を企画した。

 音響効果が良さそうなシャワー室を会場に選んだ。幸い「英雄」のレコードは持っていた。ついでに、ホノルルで「支那(しな)の夜」など日本の流行歌のレコードを四、五枚買い、私の小型蓄音機を持ち込んだ。三、四十人ほどの捕虜が集まった。私は「これからお正月の音楽会です」と告げ、最初に流行歌、続いて「英雄」をかけた。

 音楽会に参加した一人に、従軍記者だった同盟通信(共同通信の前身)の元記者、高橋義樹がいた。作家、伊藤整の門下生だった彼は戦後、その体験を著作に残していた。それによると彼は、私の行動が不可解で「なぜ音楽を持ち込んだのか」「捕虜の感情を探ろうとしたのか」などと疑った。だが、何ら意図を感じられず「(キーンは)微動だにしなかった。楽曲に魅せられた人間の姿があるだけだった」と結んだ。

 その通りだった。不思議にもその時に限り、私の蓄音機は素晴らしい音を奏でた。「私でなければ敵国捕虜と音楽鑑賞はできないのではないか」と、いささか自意識過剰気味になりながら旋律に身を任せていた。「英雄」が終わると、捕虜たちが私を取り囲み、音楽談議を交わした。それで距離が少し近づいたようだ。戦後、記者に復職した高橋を含め、音楽会に参加した何人かとは長い付き合いになった。一人は百歳を超えた今もご存命だ。

音楽会の夜、すっかり遅くなりホノルルの宿舎に向かうバスがなくなってしまった。ヒッチハイクすると海軍将校の車が止まってくれた。将校は蓄音機に気付き、なぜ携えているのかただしてきた。正直に話すと「貴様は、日本軍が米国人捕虜に音楽会を開いてくれると思っているのか!」。灯下統制で真っ暗闇を走る車中、私は押し黙っていた。それでも、あのシンフォニーは最高だった。(日本文学研究者)

 

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